hyla’s blog

はてなふっかーつ!

「水戦争の世紀」

ちっとは本を処分したいと思って、頑張って読んでみた。とりあえず、今日読破したのはこれ。

「水」戦争の世紀 (集英社新書)

「水」戦争の世紀 (集英社新書)

 これも、読み出しては投げ出すと言うことを何度繰り返しただろう。特に後半になってくると、国際法やグローバル企業の話が中心になって、読んでもさっぱり頭に入らなくなるのだ。ルポ的に、中心となる人物をつくって、その物語と共に解説を入れると読みやすいだろうけど、淡々とまとめているので、まあ経済だの法律だのに縁のない人間にはとても読みにくかった。


 でも、何とか読破して改めて思ったのは、地球上にはごくわずかしか存在しない「淡水」は、純粋に気象変化などの問題で枯渇するのではなく、一部の営利企業のによる商品化によって独占・寡占され、全ての人に行き渡らなくなり、同時に枯渇されてしまう事の方が問題なんだな、ということ。


 今のような水の使い方をする限り、中・長期的には、どう考えても水は枯渇していくだろう。水は全ての生物の命の源になるものだから、その水を如何に守り維持していくか、と言うことは大事だと思う。けれど、それ以前に、グローバル企業の水の商品化を何とか押し止めなくてはならないというのはとてもやっかいな話だな〜。でも、アメリカや中国など、その対策は、もはや躊躇するべき時ではなく、今頑張らなければ、水は無くなってしまうレベルまで来ているのだろう。この経済状況と、エネルギー状況の中で、とてもとても困難な課題だ。



 けれど、そういう事を読みつつ、どこかピンと来ないのは、やはり豊富な水に恵まれた日本に住んでいるからなんだろう。水不足で有名な香川でも、年間降水量1000mmはあるし、大台ヶ原屋久島に至っては、清い水があふれている。屋久島に行った折に、「屋久島の水をチェックしたら、電気伝導度やpHなどの数値から見て、屋久島の水はほとんど蒸留水に近い」と言うことを聞いた。それほどにクリーンな水がそのまま海に流れていくって、もったいないなあ〜、と感じたのを覚えている。その一方で、日本は食糧輸入国で、化石水を用いて無理矢理に作った作物をがんがん輸入していたりする。
 
 
 でも、こんな事がずっと続くはずもなく、アメリカや中国の水が枯渇した時、食料の、水の取り合いが始まるのかしれない。なら、日本は少なくとも自国の水資源をきちんと保全しておくことは国策として重要なんじゃないだろうか?
水源を維持管理すること。これまで以上に、節水を意識した社会システム作り。降水が土壌に浸透していくような都市構造にしておくこと。森林の維持など。そういうことって、今のうちにやっとかないと、水は命を支えるものだけに、困ってからでは遅いような気がする。けれど、なまじ水資源に恵まれているだけに、日本ってその辺が無頓着なところがやや気がかり。



 日本は小さく資源の無い国だから…、と常に私たちは思っているけれど、少なくとも水には恵まれている。そして、温暖な気候や豊かな海などもある。そういうことって、日本が世界の中で生き残りをかけて行く時代に、もっと注意しておいた方が良いのじゃないかと思ったりするんだけどな。