本を読む
先日これを買った。
- 作者: よしながふみ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2003/12/19
- メディア: コミック
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何となく、本を買いたくって、でも手頃な新刊も見あたらなかったので、ダメもとで読んでみようかな〜、と思って買ってみた。
なんだけど、これはいい。「大奥」もいいけど、こっちの方が更に完成度が高いように思う。ごく普通の人々の些細な日常の光景といった雰囲気なんだけど、絵に語らせる力が半端じゃないな〜。
例えば、最後の作品で、娘である雪子は母である麻里にこう伝える。
「あたしはお母さんが死んだらお葬式でうんと泣くからね。」
それに対し、母はゆっくりとごくわずかに唇をもちあげて笑う。
「ふふっ」と。
こういうところは、上質の文学作品にも似た味わいだ。
娘である雪子は
「母というものは要するに一人の不完全な女の事なんだ」気づき、そしてそれを許す。
けれど、母である麻里は自らの母の事が許せずに
「だいたい実の親でもあたしはあのばあさんが死んだって絶対泣かないわ」と言い放つ。
自分は自分の母が許せない。けれど、そういう不完全な人間である自分を、自分の娘は許してくれる。それを知ったとき、麻里はただ「ふふっ」と笑う。ここに重なる思いは、どんな思いなんだろう。うれしさ?それとも、皮肉さ?我が子が自分と対等の女として対峙することを喜んでいるの。それとも苦々しく思うのか。
多分きっとそういう複雑な全ての気持ちが一言の「ふふっ」というセリフにこもっている。
それだけのセリフでしか無いからこそ、全てが込められる。
けれど、こういう表現は諸刃の剣だ。
セリフや内面を語る言葉を削る作業は、けれど、一つ間違えばわかりにくさにつながってしまう。けれど、しっかりした構成と絵の力でもって、ここではそれが逆に読み手の中に想像をかき立てさせる。そして、考え込ませ、だから何度も繰り返し読ませてしまうのだ。そういう味わいは、ちょっと山岸涼子の味わいにも似ている。
そして、投げかけられた問いに自分ならどう答えるのだろうと考えてみる。
例えば、
「人に対して分け隔ててはならない。差別をしてはならない。」
と教えられ、その通りに生きてきた莢子が、見合いで理想とする人と出会って、けれど断って友人に言う。
「恋をするって人を分け隔てるということじゃない。」という言葉。
どうしても自分の中にその矛盾を抱えることができず、「分け隔て」ない事、即ち一人シスターになる道を選んだ莢子。
友人である雪子は不安を振り払うように婚約者に
「ねえ順ちゃん、あたしの事好き〜?世界で一番好き〜?」
と、確認を求め、「好きだよ」と答えてもらう。
雪子と莢子の選択は、全く違う。けれど、どちらもそれぞれの選択なのだ。あなたなら、自分ならどうするだろう?と考えさせられる。
本の帯には「オトコにはわからない。故に愛おしい女達の物語」とある。
これは確かに女達の物語だ。男であることもそうだろうけど、女であることも、結構しんどい。そういうしんどさと、それを超えて行く強さと。そういう物語を、じゃあ男性だったらどんな風に読むだろう。
例えば第4和で、結婚したばかりの雪子が順ちゃんの行動にいらだって
「すこ〜しだけ、すこ〜しだけなんだけど、納得いかない」と友人順ちゃん行動をこぼす。その気分って、男性は読み取れるだろうか。それをどんな風に理解するのだろう、とちょっと思ったりする。けれど、女性がほんとうに知って欲しいのは、そういう些細な気持ちなんだろうなあ。
と言うことで、よしながふみはなかなかの描き手だなと思う一作でした。