hyla’s blog

はてなふっかーつ!

久々にモーさま

 
 先日、暇な折に古い本を何冊か取り出して読んでいた。そのうちの一冊が、萩尾望都の「ローマへの道」で、引きずられるように今日行った本屋でもやっぱり萩尾望都を買ってきてしまった。これである。

あぶな坂HOTEL (クイーンズコミックス)

あぶな坂HOTEL (クイーンズコミックス)

 

 萩尾望都は「ポーの一族」や「11人いる」あたりから読み始めて、その後作品集も買ったりしたから、ごく初期の作品からほとんど読んでいることになる。けれど、最近の作品は何となく「残酷な神」以降買っていなかった。それでもこの作品は雑誌で立ち読みはしていたのだけど、書店で単行本を見て、何となく買って来てしまった。そして、黙って泣きながら読んだ。

 この作品の中でまず印象に残るのは、「女の一生」。

 この世とあの世の境にあるあぶな坂HOTELに、幼いかわいらしい少女、銀乃が訪れる。訪れては去っていく(この世で死にそうになって、治る)中で、ワガママな少女が美しい盛りの17歳を経て、子を産み、しかしその後妙に疲れた風な中年女として銀乃は現れる。不平不満を醜くくぶちまけながら、しかしまたこの世へと帰っていった銀乃が再びあぶな坂HOTELに来るのは30年後の80歳である。和服に低く半幅帯を締めて笑う80歳の年老いた銀乃の、その透明感のある美しさはどうだろう。不平・苦労・憎しみ・悲しみ。そういうモノを乗り越えて、とても美しい。
 けれど、全てのやりたいことをやって、夫や子どもの愛情も含めて欲しいものを得たように見える銀乃が、死ぬ間際にもなお求めていたのが、母親であったことが悲しい。何度も何度もあぶな坂HOTELを訪れた理由が、ただ母を捜すことあり、そしてあの世への橋を渡った所には確かに母親が待っていて、銀乃は小さな子どもの戻って母親の胸に戻っていく。悲しい。何の言葉もない、1ページを丸々使って描かれたそのシーンはただ胸に突き刺さる。そして、考える。

 
 人は、これほどまでに、母というものを求め続けずにはいられないのものなのか。
 母とは何だろう。

 

 自分を慈しみ、自分を肯定し、自分を立つ位置を常に支えてくれるもの?

そうであるならば、たとえ50になっても、ひ孫さえいる身になっても、なおも「母=自分を肯定してくれるもの」を、「よくやってたね。頑張ったね。良い子だね。」と言ってくれる存在を求めるものかもしれない。いや、むしろ大人として、全ての物事について、やれて当然、やってもできなかった事をまず批判される時、母を、承認を、心のどこかで、けれど強く求めているのかもしれない。

 けれど、実際の母とは、必ずしも無限の承認を与えてくれるような代物ではない。むしろ、努力すればするほど批判的に不出来を指摘し、「あんたも親になったら判る。できるようになったら、もっとできるように願うのが親いうもんや。それが親の愛情だ。」と言ってのけたりする。あるいは、「子どもの幸福が親の幸福だ。」なんていう。ならば子どもは、自分の為にではなく、親の為にも幸福に成らなければならない。人は、そんな重荷を持って生きていかねばならないのだろうか。血は水より濃いというけれど、肉親ならばこそ深くなる悲しみも怒りもある。

 家族の間にあるのは、愛情ばかりではない。

 けれど、深い愛情もまた、たしかにある。

 だから、最後に銀乃が恐らくは幼子としての銀乃を無条件に愛し、待ち続けた母の元へ戻って行くその時、人はその刹那の幸福に何も言えずただ立ちすくむだけなのだ。

 
 同じく、「雪山へ」では仲の良かった兄弟の別れが描かれる。

 雪山で遭難死した弟と、その4年後に恐らく遭難しかかっている兄が、あぶな坂HOTELで再会する。
 
 全てを思い出した弟は、泣きながら兄に笑いながら兄にすねて見せる。
「兄さんは何でもやれる。いいなあ。僕の愛里までとっちゃって。」
 その言葉に兄は答える。
「でも、おまえがいない。あれから、ずっと、毎日、おまえを探して、世界にプローブを刺し続けているいる気がする。こんなに早く、オレの人生からお前を見失うなんて。」

 その言葉で、兄をこの世へと送り返す決心をした、こちらは別れの話。兄弟、肉親、その思いの深さが、ただ痛切に伝わってくる。けれど、現実にはこうした言葉を、思いを、互いの肉親にきちんと伝えられる人がどれだけいるだろう。愛情表現にかけては、おそろしく不器用なことに定評のある日本人として、ちゃんと愛情を持っていても、機能不全に陥っている家庭でなくても、「口に出さなくてもちゃんと判る」とばかりに伝える事を怠っているのではあるまいか。その事をきちんと伝えてさえいれば、練炭硫化水素で死ぬこともなかった人がどれだけいるだろう。

 「「もっと頑張って、もっと努力して、もっと、もっと・・・。」なんて、そんな事はいらない。今のままのあなたがいいから、ただ普通に側にいて、生きていてくれて嬉しい。いなくなって欲しくない。いなくなってしまうと、悲しい。」

それだけの事を、たったそれだけなんだけど、それを伝える事。

 どれほど傲慢で、ジコチュウで、ワガママで非常識な人でも、そういう事をだれか一人でも伝える事ができているなら、その人は、それだけで十分なんじゃないか。互いに、そういう事を伝えることができるのなら、どれほど良いだろう。

 

 ってな所で、しみじみとやっぱり萩尾望都はすごいと思いましたよ。

 長くなってしまいましたので、一緒に買った「山へ行く」についてはまた明日にでも・・。