hyla’s blog

はてなふっかーつ!

「Mの世代」

 パソコンを立ち上げて、「宮崎」「死刑」ってな文字を見て、ああ死刑になったんだ、と思った。

 何か最近は通り魔的な殺人事件が続発しているので、いろんな事件を聞いても「ああまたか・・」って思ったりするのだけど、この宮崎事件の時は本当に強烈な印象が残っている。

 幼女連続殺人事件で、犯行声明文が送りつけられたりして、更に犯人はオタクだったこと。

 
 そういう事件を素材にして、漫画なら津雲むつみの「闇の果てから」や、山岸涼子の「パイドパイパー」なんかが書かれているし、評論なら「Mの世代」が出ていた。


 いつだったか読んだ香山リカの本で「宮崎事件の頃には、犯人は本当にその後判ったように単なる異常者でしかなかったけれど、それでもその当時の人間は(特にオタクは)自分の事のように熱心に事件について論じだ。けれど、最近は事件は異常者による者として切り捨て、自らの問題として考えることをしなくなった」って感じの文章があった。

 確かに紙が黄ばみかけた古くなってしまった「Mの世代」を引っ張り出してみると、サブタイトルは「ぼくらとミヤザキ君」だし、冒頭では大塚英志

彼がオタク少年であるが故に幼女を殺したのだと世間が彼を非難するのなら、彼と僕の感受性の間に差異があるのか自分は全くわからない僕は、彼を擁護する。

と熱く語った文章がでている。


 さらっと見てみても、この本に原稿を寄せた誰しもが、熱心に語り、そういう空気は前編を通じて同じような色合いを帯びている。そして、ちょっと癖のある、今はおじさんおばさんとなった彼らは、「オタク」という言葉でくくられてはいても、それぞれに異なる性向を持ち、けれど一方で同じ気風を持ち合わせてもいる気がした。
 
 この文章を書かれた頃、1980年代の終わり、昭和の終わりに、彼らはまだ20代で、新人類と揶揄されながらもそれなりに論陣を構えていた。




 今、ミヤザキ君ではなく加藤君が一番新しい事件だけど、これについて単なる事件の記録ではなく、事件の背景なんかを述べた文章って、私が目にしたのは「動物化するポストモダン」の東浩樹くらいだな〜。






 これからこの事件について論じられていくんだろうか、それともまたこれもあっという間に忘れ去られていくのだろうか・・・。