hyla’s blog

はてなふっかーつ!

願う


 今日も、メダカに餌をやろうとしたら、そこにはトノサマガエルがいた。


 これを水鉢で見るようになって、もう随分になる。日中の暑い頃にはたいてい水の中にいて、最近は人が近づいてもあまり逃げなくなった。メダカの餌をぱらぱらと撒いても、そのままぷかぷか浮いていて、ここを自分の住処と心得たようだ。


 毎日ここでトノサマを見るということは、トノサマガエルはかなり水辺に近い所で生きるカエルなんだろう。そういえば、以前は田んぼの周りのいで(用水路)の深くなった所でトノサマが浮いていたのを覚えている。トノサマが見えなくなったのは、いで(用水路)が土を固めただけのものからコンクリートの三面張りになり、さらに暗渠になってしまったからだろう。
 
 
 土を固めただけのいでの頃には、そこにトノサマを含め、たくさんの生き物がいたのを覚えている。田植え前には一斉に大人が用水路の掃除をするけれど、その掃除の際には近所の子供が集まって、泥と一緒に出てきたものを奪い合った。トノサマガエルは動きが速くて普段はなかなか捕まえられないけれど、そういう時には大きな個体が手に入って、細い草の茎で脚の根元を縛って、水の中を泳がせるのが定番の遊びだった。
 いでにいたのは、その他にもメダカやフナやドジョウ、それにアメリカザリガニではないザリガニもいたのを何とか覚えている。当時はまだアメリカザリガニの方が珍しくて、そこら辺のいでにいたのは、もっと小さくて表面が滑らかで、ハサミも小さく、体がアメリカザリガニより柔らかくて丸っこいザリガニだった。wikiとかでは、在来種のニホンザリガニはもともと北日本にのみ生息となっているけど、西日本にもアメリカザリガニではないザリガニがいたと思うのだけど…。私たちは、そのザリガニをニホンザリガニと呼んでいて、小さくて柔らかくて黒っぽいそのザリガニは、大きくて固くて赤いアメリカザリガニが採れるようになって、急速に消えて行った。あれは、何だったのだろう。この辺でそんなザリガニが採れていたことを覚えている世代は、私くらいが最年少だろう。
 
 
 今の高校生くらいでは、この辺ではもうトノサマガエルでもちゃんと知っている子は少ない。トノサマも、香川ではずいぶん前からレッドデータ種だ。
 

 もっと寒くなったら、やがてこれも土の中で冬眠するはずだけど、来年、また生き延びてここに来れるだろうか?田んぼで越冬したなら、冬の田起こしで冬眠中に掘り出され、鳥の餌になってしまうだろう。

 
 我が家の庭ならば掘り返しもしないから、どこかで上手く越冬して、また来年ここで見られることを願っている。