hyla’s blog

はてなふっかーつ!

「あがり」

 これを読んだ。

あがり (創元SF文庫)

あがり (創元SF文庫)


 東北大学理学部出身の女性作家の、デビュー作とか。けれど、デビュー作とは思えない程、良くできていて面白い。
 
 「北の街」の「蛸足的総合大学」の理学部生物学科(バイオ系が中心)でおこる様々な出来事をまとめた連作短編集だけど、もちろんモデルは東北大学。そこに暮らす理系な人達の、クールだけど優しい生活感は好きだな。こんな街で、こんな学生生活を送りたかったと思わせる。
 とはいえ、そこで起こる事件は、結構ブラックなSFそのもの。


 表題作「あがり」は、進化において淘汰の働く主体は個体である、という亡くなった恩師ジェイ先生の説を証明するために、特定の遺伝子を増大させる実験を行う学生イカルの話だ。ドーキンスの利己的遺伝子の話だね。
 イカルは、個体が淘汰の主体という事を証明するべく、遺伝子の増大に取り組んで、淘汰の働く主体は遺伝子という説を否定しようとする。この辺の目の付け所が、如何にも理系。イカルはもちろん、淘汰の主体は個体と信じていて、特定の遺伝子「細胞骨格繊維の遺伝子」を自然界では不可能なレベルに増幅させる、つまり長い進化の物語を「あがり」にさせてしまっても何も起こらないと信じている。だからこそ、そんな実験をするのだけど、その実験が終了した日、つまり「あがり」の日、果たして何も起きないのか? という物語だ。

 これを読むと、「猫のゆりかご」のアイス・ナインの話を思い出す。常温では固体となる水の結晶形の一つである「アイス・ナイン」のひとしずくが通常の水に混ぜられると、世界中の水はアイス・ナインと同じような結晶になってしまう。つまり、その時世界は凍り付き始める。ほんの一滴のアイス・ナインにより、世界が静かに破滅する、その感じが似ている。

 「猫のゆりかご」はそうしたSF的ガジェットとは別に、ぽわんとしていながらシニカルなものの見方が魅力だけど、この作品は繊細で優しくクールな学生と、大学や北の街の風情が魅力。だからこそ、進化に「あがり」が来る日が来たら…、と言う事が不思議なリアル感と、同時に滅びに至る空虚さ、悲しさを感じさせてくれる。


 こうした優秀で繊細でクールな理系学生の日常感と、そこに折り込まれるSF的ガジェットはとても親和性が高くて自然。その上で、そこに見られる科学技術や大学の置かれた状況によって生じる出来事のクールな暗さが、魅力的。
 同じく理学系の学生を主人公にSFを書いても、野尻法介の作品だと、科学技術によって引き起こされる出来事は主人公達に前に進ませるから、物語は明るい。けれど、ここでは理論を突き詰めて考えた結果として、そこに出現した状況はヒトにとって愉快なものではないのだけど、主人公達、そして著者はそれを淡々と受容する。その在り方はまさしく理系だし、それはティプトリーの暗さに通じるところもある。



 個人的に好きなのは、「不可能もなく裏切りもなく」。
 
 常に一定の「目標被引用指数」を達成する事を要求される大学において、「遺伝子間領域の存在理由」について研究することで、一気にその目標を達成しようと理論屋の主人公は実験屋の友人と研究に取り組む。ところが、事故が続き、更に友人が死んでしまう。それは実は…。という話。
 非常に困難な状況に置かれている大学生活の中で、最後に主人公のとった行動は好きだな。そして、ほんの少しだけ最後は明るい。 


 と言う事で、その他の作品も含め、どの作品もちゃんとSFしているし面白い。大学の教養レベルの生物の知識をもって読めば、穿った見方で楽しめる。無ければないなりに、素直に騙されて楽しめる。だから割と、読者の間口も広いと思う。


 今後の作品が、楽しみな作家さんだなあ。