hyla’s blog

はてなふっかーつ!

ひな鳥の季節


 鳥のラインセンサスをした。もう随分と季節が進んで、鳥は繁殖のまっただ中だ。至る所で、子育て中と思われる行動を見る。

 スズメは、民家の屋根の隙間に入っていく。多分、そこに巣があるのだろう。ツバメは、同じく民家の玄関に巣を構えて、卵を温めているし、モズも電線に止まって周囲をしきりに気にしている。多分、そこが縄張りで、巣もあるはずだ。それから道路にいたハクセキレイも、虫を食べずに咥えたまま飛んで行ったので、子供に与えるのだろう。

 そんな行動を見ながら、いつものコースを歩いて海岸のムギ畑に来た時、いきなり小さな鳥がすぐ近くから飛んで、麦畑の中に入っっていった。ひな鳥だ!まだ飛び始めたばかりのひな鳥で、麦畑の中に入り込んで、じっとしている。まだ良くは飛べなくて、本能的に動かずにカモフラージュしているのだろう。実際、ほんの1mほどのところにいるのに、まばらなムギの中にあって、薄茶色の鳥は結構分かりにくい。写真の真ん中には雛が写っているのだけど、そうと思って見なければ、そこに鳥がいることはわからない。


 けれど、これがひな鳥であることも、更に何のひな鳥かも、すぐにわかった。だって、すぐに親鳥が来て、こんなことをしたからだ。鳥はホオジロ。私の2.3m先の地面に下りたって、羽を広げて、尾羽を持ち上げて、傷ついて飛べない鳥を装い始めた。おおっ、教科書通りの見事な偽傷行動!
 偽傷行動というのは、ひな鳥に危険が近づいたときに、その捕食者の注意を雛からそらすために、親鳥が見せる行動だ。捕食者を引きつけて、雛が逃げられたら、すぐに飛んで行くだろう。騙されたふりをして、親鳥を追いかけても良かったのだけど、そのままその場を離れてやった。親鳥はペアで行動していて、その後もそっと見ていると、2羽の親鳥ホオジロは、麦畑の中に飛んで行った。きっと無事に、雛と合流できただろう。

 
 
 で、そもそも何故ホオジロのがそんなところに居たのか?それはきっと、膨らんだムギを食べに来ていたのだろう。
ムギは生長して、刈り取るのを待つばかりとなっている。まだ水分をたっぷり含んだまるまるとしたムギは、そのままヒトが食べてもほんのり甘くて美味しいだけに、鳥たちも大好物で、たくさんの鳥がムギを食べにやってきている。今時は、大砲の音で鳥を追い払うなんてこともしていないので、地面にはたくさんのムギの殻がおちていて、穂の中にはほとんど食べられて実がないものもある。ホオジロは、繁殖期には昆虫を食べるけれど、これだけ栄養豊富な餌は、さすがに魅力的なはずだ。これを食べに来ていたのだろう。
 

 
 麦畑の中には、スズメもたくさん見えたし、キジバトもいた。そして、隣の田んぼではイネを植えるための田起こしをしていて、耕耘機が入った田んぼでは、ここでも鳥たちが餌を拾っていた。こんな餌があるところでは、鳥の繁殖成功率も高いに違いない。



 けれど、田んぼをするのは、決して楽なことではない。少しずつこの辺でも、田んぼは耕作されなくなっている。そんな田んぼは、草原になり、やがては森に帰っていく。そして、過疎指定を受けているくらいで、ヒトも減っている。空き家も増えて、鳥の繁殖を見守る人のいない空き家には、鳥は巣を作れない。
 田舎と都会を比べれば、都会は鳥が住みにくくて、スズメやツバメの一腹あたりの巣立ち鳥の数は田舎の方が多いという研究結果が出ているのだそうだ。けれど、もっと田舎になれば、そうした鳥はいなくなるはずだ。この辺では既に、人と共に暮らしてきた一部の鳥が、人と共に減少し始めているのではないか、と私は考えている。

 
 明るい林を持つ里山があって、田んぼがあってため池があって、川があって流れは海に至る。そんな光景は、実は人が関わることで、作り上げられてきた環境だと言うことを、実感する。手間暇掛けて作り上げられてきた、美しい日本の田園風景も、人が居なくなるとき消え失せる。その時、多くの生き物が一緒に消えていく。

 だから、消える前に、私たちが「普通」と思い、特に注視することもないど田舎の「普通」の生き物を、せめて記録しておいてやりたい、と思ってしまうのだ。そして、この努力が無駄な努力になることを、100年後も同じような生き物の世界が続いている事を願っている。