hyla’s blog

はてなふっかーつ!

古いもの

 
 私は、古いものが好きだ。古本、古道具、古民家など、新しくて綺麗なものは大抵合理的で使いやすくて便利なのだけど、長い時を経てきたものの味わいは捨てがたい。

 そして、この度勤務先が変わって、これまでの勤務先から、立ち去ることになった。今の職場には10年以上いただけに、いつの間にか溜まった物の量がすごい。図鑑などの本に自分で集めた標本類、育てていた植物も魚も、一切合切を処分、あるいは持って出ないといけない。とても、大変。


 そんな中で、気になるのが、職場の古いものたちの行く先についてだ。100年以上前から続いている現在の職場には、その年月の中で使われてきた古いものがたくさんある。棚の中に眠る、島津製作所の明治時代の植物標本や、動物の液浸標本や剥製。張り子の技法でできた模型類は、「島津製作所」の文字が右から左に横書きされているからこれも戦前だろう。
 こうした古い物はもちろん、もう使われていない訳で、来年度に建物の立て替えが始まる中で、捨てられてしまったりしないだろうか?私はもう立ち去らねばならないから、口を出せなくなる。それでも何とか救いたいと思って、幾人かの人に窮状を訴えてはきたけれど…。


 
 それから、古いガラス瓶たちも好きだ。ゆがんだり、気泡を含んだりした微妙な色合いのガラス瓶を見ると、私はついつい可哀相で捨てられない。
 今日も年度末の大掃除で、こんな小さなガラス瓶が捨てられようとしていて、可哀相でもらってきてしまった。中にはまだ、薬品が入っている。1本は東京のものだけど、もう一つのアルファベットのラベルはどこの国の言葉だろうか?専用の木箱に入っていて、中身の大半は恐らく布用の染料。多分20本以上ある。コルク栓は腐食し、ラベルのないものもあるけれど、雰囲気からして、大正以前のもので、きっと多分当時はとても高かった輸入品だろう。これらが無造作に粗大ゴミの中に放り込まれていくのを、そのまま見捨てるというのが、私にはどうしてもできなかった。
 薄い青色の500mlの古いガラス瓶も、同じような理由で以前に引き取ってしまったもので、これもたくさんある。
 
 
 絶対に、こんなものは使わない。けれど捨てるのは、あまりに可哀相。ほんとに、これをどうすれば良いだろう。


 
 
 それから、この本達も、きっと捨てられるんじゃないだろうか。古い子供向けの図鑑たち。

 こんなものが、どのような経緯を経てここにあるのかはわからない。昭和30年代の図鑑は、もちろん情報は古くなってしまっているだろうし、実用には全く向かない。特に、動物図鑑の方は中はもうバラバラだ。けれど、高度経済成長期のたくさんの子供達に向けて生き物の楽しさを伝えようとした当時の人々の願いが、ページのそこかしこから伝わってくる。私達は、そんな賢い大人達の、優しい思いに満ちた本で育まれたのだ。文章、挿絵、装丁にいたるまで、本当に丁寧にお金と時間をかけて作られた児童書を、ただ古いという理由で、紐で縛って捨ててしまって良いのかと思ってしまう。



 単なる感傷にすぎないと言う事は、よくわかっている。これは、合理的な考えではない。時代は断捨離なんだし、捨てられない人の行き着く先は、ゴミ屋敷。それはとても迷惑。 

 けれど、古いゆがんだガラス瓶に差し込む光を見るとき、その歴史を想像してみれば、優しい気持ちになれる。そして、北輶館の大正15年に日本で初めて出版された「動物図鑑」を開いてみる。その前書きに丘浅次郎の書いた、「自然物から直接に得た知識と教訓とを楽しみ味ふものが一人でも多くなるようにと切に希望して止まぬ次第である」という文章を読み返せば、歴史の中で人から人へ伝えられてきた願いを、私もまた引き継いで頑張りたいと思ってしまうのだ。


 古いもの、今は実用に供せぬ物にも価値はある、と私は思う。100年以上の歴史の中で、廃棄されることなく生き延びてきた古いもの達の、幸運が続くことを願っている。




 つか、それより先に自分の標本をどうするか、真剣に考えないとな〜。
 ほんと、どうして香川には自然史博物館がないのか…。