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「教育の職業的意義」

 続いてはこれ。

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)


 何となく買ったものの、手を出していなかった。教育は、もう少しの職業教育的な意義を高めましょうという本。


 これによると、現在の日本の職業的教育は、歴史的に見ても、他国との比較においても非常に低レベル。歴史的には、職業的教育は専門高校という枠組みの中で行われようとしてきたが、新卒一括採用により、職業訓練を主に企業が担ってきたことで、その意義は低下してしまった。しかし、シビアな社会環境の中で、非正規雇用が増える中で、職業教育を教育現場が担うことが重要になっている。ただし、それは高度に専門分化さした職業訓練ではなく、専門性を持ちながらも状況に応じて専門性の変更も可能な「柔軟な専門性」を持つもので有る必要がある。

 
 というもの。若者がスムースに職業社会に入っていけるようにしなければならない、ということは否定しない。労働者としての適応と同時に無茶な要求に対して反撃する知識を持つようにしなければいけないという。それも良いだろう。で、それは具体的にはどういうもの?誰がやるの?どうやってやるの?という事については、「教育社会学の専門家」であって、「教育の分野で対処するための具体的なカリキュラムや教育方法を詳細に提示できるわけではない。」のだそうだ。私は、そこが知りたいのだけど…。

 
 
 かつての就職では、中卒→ブルーカラー、高卒以上→ホワイトカラーという区分があったものが、高校進学率の高まりと共に、中卒がいなくなり、高卒→ブルーカラー となってしまった。現在は、高卒対象の就職口が激減する中で、大学進学が増えてきている。そういう状況で、「柔軟な専門性」を持つ「職業的教育」を担うのはどこなんだろう。著者は、「専門高校」推奨だけど、専門高校なんて一県あたりどれだけある?「増やして行くべき」と言っても、それにどれだけ時間がかかることか。また、「専門高校」に進む生徒はどちらかと言うと、「職業的意識」が高い生徒だ。従って、「普通高校」にこそ「職業的意識」が低い生徒が集まる訳で、どっちかと言うと普通高校に通うような生徒にこそ「職業的教育(職業とは何か、働くことの意義、働く人の権利)」などの教育が必要だろう。けれど、そこで行われている近年の「キャリア教育」に対して、著者は否定的。


 「キャリア教育」は、「自分に合った職業を選べ」というメッセージを送ることで、実現可能性の低い「夢追い型」の職業選択を促したり、選択することのプレッシャーを高めるといった点で、むしろマイナスの効果が出ていると評価している。


 これは多分当たり。

 
 じゃあだから、どうすればいいの?みんな、そこがわからない。でも今のままではダメだとわかっている。だのに、この本では問題点を指摘するのみなんだな。そこは残念。

 
 私は、職業的教育は必要だと思うけれど、それは必ずしも学校だけがカリキュラムとして担うものではないと思う。それから、職業に就くことだけが、社会参加でもない。地域や家庭といった場所への参加も大事な事だし、そのメンバーとして、担うべき事、学ぶべき事も多いはずだ。だのに、どうして学校と職業だけに拘るのだろう。
 

 以前に比べても長時間労働が当たり前になって、どこでも5時で家に帰れる人なんてほとんど居ない。同じように、高校生も勉強しないからという理由で授業時間も増えているし、その後の部活動まで入れると、家に帰るのが8時を越える生徒も珍しくない。誰にとっても生活時間の中で、地域や家庭の占める時間は激減しているのではないだろうか。
 もし、5時で仕事が終わり、6時に家に帰れるなら、夕食を食べてもそれからのんびりする時間がある。高校生も6時に帰るなら、一緒に食事をして、家で雑談する時間がある。そこでのんびり交わされる会話の中で学ぶ事も有るんじゃない?地域社会でも、若い人は、地域活動の担い手として期待されているのではない?
 けれど、それは長時間労働が続く限り、長時間の部活動が続く限り、かなり厳しい。

 
 そんな中で、だから学習指導も進路指導も職業的教育も生活指導も、全て教育現場でやって下さいって事だけど、それは無理ではない?現行のカリキュラムでさえも、きちきちだ。それに教育現場も、相当ブラックな現場だから、一月当たりの残業時間が100時間を超えるヒトがごろごろいる。そこへ、更なる要求をつきつけるなら、何かを減らすか、ヒトを増やすか、そのどちらもせずに要求だけするのはあり得ないと思うのだけど…。

 今教育現場は、何もかもを背負い込んで、もうこれ以上何かをのせると、一気に崩壊するようなところで危うい均衡を保っている気がする。ただでさえ少子化で、労働力不足が懸念される中で、ブラックな現場に絶えられず教育の担い手が居なくなったら、どうするのだろう。改革を!と叫ぶのは良いけど、そちらの方がむしろホントにヤバイ状況と思うけどね。
 それでも、これからの社会を支える若者が生き延びていけるように、何とかしておいた方が良いのは事実。だから、ぎりぎりの教育現場の中でどのような施策が可能だと考えられるのか、あるいは、教育現場以外も職業的教育を担えるようにするにはどうすれば良いのか、知りたいのだけど…。

 
 
 と言う事で、著者の危機感はわかるのだけど、何だか不完全燃焼な気分になる本だった。