hyla’s blog

はてなふっかーつ!

まだ採れる

 

 ああ、気づけばもう月末ではないですか。

 11月と言えば、秋の最も美しい季節に、一体何をしていたのでありましょうや。って、今月は真っ当な休みは何日あったっけ。青い青い空に映える紅葉を見ながら、仕事場で歯ぎしりしながら過ごす休日ばかりだったなあ。



 で、先週はまるまる出られなかったし、今日はもうたまらなくなって仕事の後で、山へ行った。既に3時を回っていたけれど、それでも天気は良かったし、寒いほどでもない。少し冷たいけれど、寒すぎる程でもないこの時期は、ぼんやりと外を歩くには最適の季節だし、一番好きな季節。本当ならこの時期、1回くらいはお弁当を持って、のんびりといろんなものを見ながら山頂まで行って、ぼーっとする。なのに、この一月、心底のんびり外を歩くことが出来なかったのは、かなり残念。



 それでも、麓でうろうろしただけでも、何かしらの発見はある。夕暮れに光る紅葉は綺麗だし、こんな小さな花も見た。多分チャノキ(茶の木)。椿の仲間だけあって、花も椿に似ているけれど、ずっと小さく可憐で清楚な感じ。チャノキが自生するわけはないだろうから、ここも多分昔は人が居て、植えていたものだろう。



 そして、帰りはそのまま海へ走って行った。夕暮れの海岸には、さすがに人は少ない。ぼーっと景色を眺めてから、堤防近くの流木を転がしてみたら、こんなに寒くなっているのに、それでもまだぴんぴんとトビムシが跳ね回る。更に、その中に黒い小さなものをみつけたので、捕まえてみた。ハネカクシのようにも見えるのだけど、黒いトビムシなのか、肉眼ではよくわからない。そういう大きさのものだ。
 持って帰って見てみたら、やっぱりハネカクシだったので、相変わらずどうしようもないものだけど、とりあえず捨てるのもなんなので、一応タトウに入れてみた。



 最近知ったのだけど、こういうハネカクシは、かなりマニアックなものらしい。なら、種類なんて、多分きっとわからないままだろう。それでも採ってしまうのは何故?と考えてみることがある。
 私は昆虫は嫌いではないけれど、虫屋さんではない。きっと、だからこそこういう普通の虫屋な人は絶対に採らないようなものも採るのだろう。素人の私にとっては、ハネカクシだろうがコガネムシだろうが、マニアック度合いに違いはないように見えるし、特別に好きも無い代わりに嫌いもない。
 私はただ、ごく普通の日本の里山や海辺にひっそりと生きているもの達が、どのようなものか知りたい。ほぼ不可能にちかい願望とはわかっているけれど。でも、採ればほんのわずかでもわかるでしょ。なら今でしょ。採るしかないでしょ。
 
 
 そして、私の力の及ぶ範囲だけではあっても、好きも嫌いもなく、とにかくひたすらに採ってみることは、それはそれで楽しくもあったし、驚きもあった。
 一見なにもいないような砂浜の間隙に、これほど多種多様な生き物が潜んでいるという事実。私たちが「昆虫」と言う言葉で普通に連想するものは例外的に大きいもので、ほとんどの昆虫はずっとずっと小さく、小さいが故に多様であるということ。そして、浜辺にもいろいろあって、同じように見えても生き物の極端に少ない「死んだ浜辺」の方が多くて、多くの生き物が生息している「生きた浜辺」はそれほど多くは無いということ。
 生態学関連の本を読んでいけば、どこかに書いてありそうな事ばかりだけれど、自分で採って、自分で発見する過程はやはり楽しかったりする。採集したものの種類が、わかることなく終わってしまっても、それでもこの驚きや発見は私のものだ。



 
 だから、浜辺の虫を、里山の虫を採り続けたことを、後悔なんぞしない。

 

 ええそう、たとえ小さな昆虫ばかり入ったタトウが既に山盛りになっていても。
 その大半がmm単位のヒゲブトハネカクシの嵐でも、ええもう意地でも後悔はしませんよ!
 



 泣くだけです…。