hyla’s blog

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「下町ロケット」


 これを読んだ。

下町ロケット

下町ロケット


 今大ヒット中の「半沢直樹」の原作本も書いた池井戸潤さんの本。「下町」「ロケット」というタイトルで何となく内容も想像でき、読みたいとは思っていたのだけどこれまで読む機会がなかった。


 で、今回読んでみて、とても読みやすくはあった。さくさく読める。それは先日読んだ「オレたち花のバブル組」と同じ。なのだけど、何となく自分にはしっくり来ないところがあって、それは何なのだろうと考えた。


 何となくの違和感。それは多分主人公の佃さんを始めとした登場人物達に、理系ならではの親近感を感じないところなのだろう。良くも悪くも銀行マンの実体なんて知らないので、「オレたち」の方は面白く読めた。けれど、ことロケットについてなら、もっとこう宇宙へのあこがれとか、その厳しさへの理解とか、そういうものがもっとじわじわと来ても良いんじゃないかと思う。それがあまりなくて、主題がロケットでなくても、問題ないような雰囲気に感じられてしまう。ので、こうグッとくるようなものがあまりなかった。
 でも、それなりには面白いので、例えば2時間くらいを楽しく過ごすのには良いと思う。



 ただ、これを読んだ後、私は本棚から萩尾望都の「6月の声」を引っ張り出した。随分古い作品なのだけど、ものすごく印象に残る好きな作品の一つ。
 外惑星移民団に参加して旅立つエディリーヌという少女、いや女性の事を、その年下の従兄弟である主人公ルセルの目から描いた物語だ。これを読むと、少女が大人になると言うことの見事さと切なさ、そして、宇宙へと旅立つことの意味をしみじみと考えさせる。最後にピクニックに出かけ、主人公は「これほど美しい地球を離れて、どうして宇宙へ行くのか?」とエディリーヌに問う。それに対して明確には答えなかった少女が旅立つ理由を知った時、ルセルは自分自身に問う。「人はどうして宇宙へ向かうのか?」と。それは私たちに向けられた問でもある。どうして危険が伴う未知への場所へ、あえて向かおうとするのか。

 
 
 これについて新井素子は、「ネプチューン」という作品で、「遠くへいきたい」というものは生物の本能で、それによって、生物は陸地へ進出し、広がり、そして宇宙へとすらむかう、と書いた。
 

 未知なるものを知りたい、未知なる世界へ行きたいという思いは、確かに私にすらあって、それが生物の本能というのはあながち間違いではないだろう。未知なるところには危険もあるけれど、それでも遠くへ、未知なる世界へ行こうとしてきたから生物は分布を拡大させ、新たな環境に適応したものが生き残ることで進化することが出来たのだろう。そういうものが今生きている生物なのだろうし、そうした本能を持たなかったものは、絶滅したんだろう。
 そして、その思いの全てをわかりやすく満たす最後のフロンティアが宇宙なのかも知れない。




 私は生物系なので、実は未知の世界なんて、私の足元にすらいくらでもあることを知っている。
 けれど、だからといって宇宙が嫌いな訳ではない。ブラッドベリの「ウは宇宙船のウ」や、ティプトリーの「たった一つの冴えたやり方」は何度読んだ事だろう。
 

 そして、きっといつかはヒトも外惑星へ進出していくことをどこかで信じている。何世紀先の事かは知らないけれど、きっと軌道エレベーターだって出来るだろう。
 そして、今日飛ばなかったイプシロンロケットもきっと必ず飛ぶと信じてる。それが何時だって応援する。



 だから、頑張れJAXA