「道化師の蝶」
図書館へ行ったなら、これがあったので、借りてきた。今年の芥川だけど、難解という前評判をどこかで聞いた。けれど、これまで円城塔さんの本は読んだことがなかったので、これを機に読んでみるのも悪くない。
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/01/27
- メディア: 単行本
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で、お話自体は長くないので、ゆっくり読んでもそこそこの時間で読み終わる。同時収録の「松ノ枝の記」も併せて読んで、確かにこうした話を読み慣れないと難解であることは確かだろうと思う。
「松ノ枝の記」の方がまだ物語の形は把握しやすいものの、これも人を食った話だし、「道化師の蝶」になると、物語の書き手が誰なのかから推測しなければ成らず、これがどこの話か、誰の話かよくわからないままに読み進める事になる。けれど、読後には実に端正なイメージが残る。
「蝶」という単語のせいもあるだろうけど、有名な中原中也の「一つのメルヘン」にもっと細かで複雑なカットをかけて光らせた宝石のようだ。あるいは、山尾悠子の「夢の棲む街」なんかの雰囲気とも似ている。山尾悠子の作品では、宝石のような美しさに加えて、生物的な柔らかさが絶妙のバランスで同居しているところは少し違うけれど、傾向は一緒。
いずれにしても、物語の外形を捕らえようとしたり、常識の中に押し込めてもしょうがない。それはそういうものとして、言葉の醸すイメージにただひたり、それによって自分の中からまた新たに引っ張り出されるイメージで遊び、それに当てはまる言葉を探してみる。そんな読み方をする作品群かな、と私は思う。
上質の小説というものは、常に言葉を言い尽くさない。言葉の間には、読み手のイマジネーションを挟むゆとりがある。クレーンゲームのクレーンのように、言葉の中には読み手のイマジネーションを引っかける仕掛けがある。
この作品の場合、イマジネーションを吊り上げるクレーンも大きく、同時にまたその歯が大きく、人によっては全くイマジネーションは引っかからないかもしれない。けれど、引っかかる場合には、驚く程大量のものを読み手の中から吊り上げる。
私はこの2作品なら、「松ノ枝」の方がより好きだけれど、どちらの作品も、とても上質の物語だ。美しく端正な物語を読んでいると、著者は人という生物、そしてその過去と未来を、決して否定はせずに、静かに微笑んで見ているような気がする。
特に「松ノ枝」の163ページからの短い1章が好きだ。
静かな物語の中で、けれどそこには、少しだけ子供のように無邪気な、未来への、あるいは過去への衝動が見える。それを希望と見なすには、自分もまたこの世界に希望を持たなければならない。けれど、何かをしてくれとただせがんで待つ子供のようにではなく、ただ、今少し己の強靱さを信じて、この世界の中に美しさを見いだしてもいいのかもしれないと思った。
と言う事で、なかなか良い本でありました。
いやあ、これを書くってのはすごいなあ〜。