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「希望のつくり方」


  

希望のつくり方 (岩波新書)

希望のつくり方 (岩波新書)



 以前に「希望学」を読んだけれど、今作の方がぐっと読みやすい。中学生・高校生にもわかるように書いたという事と、時間がたつにつれてより問題点が明確になってきたということがあるのだろう。構成や文章も読みやすくて、さらさらと2時間あれば読み終われる。


 で、著者はまず第1章で「希望」を定義する。「希望」とは困難な状況において、未来に対して変化を希求することという。そして、希望には「Hope is Wish for Something to Come True by Action」であることが必要という。
 その「希望」を抱く人が日本から減少している要因について2章で分析し、3章では、希望を持つために重要な要素として「物語性」の重要性を指摘する。
 希望は、それに向けて努力しても叶うとは限らないが、失敗体験を経てそれを未来へ繋がる物語として自ら修正する事によって、より希望をもてると。


 物語る力、と聞くと連想するのが「ポストモダニズム」なんて概念だったりする。誰しもが共通して持る価値観「大きな物語」が無くなったのが「ポストモダニズム」だった思う。すると「社会に希望がなくなった」と言うことは、「「大きな物語」が無くなった」ということであり、個々に物語をつくると言うことは、それを通して自分で「希望」をつくると言うことなんだろうか。


 そして、「希望」とは未来への変化であり、その「希望」とは自らが紡ぐ物語によって作られていくなら、「未来についての物語」であるSFってのは、希望ととてもよく似ている。
 そういや、ちょっと前のクローズアップ現代でも小松左京特集「想像力が未来をひらく」があった。小松左京の物語は、MM-88によって人類は滅亡し、日本は沈没し、遠い時の彼方へ旅し、けれどその苦難の果てにそれでも人類はあきらめないし、人々は真っ当に生き続ける。明るい明るい未来など信じられる訳がない。けれど、バラードのように水に沈み、結晶化し、救いようのない世界として終わるのではなく、今のリアルを突き詰めて、その上で苦難を生きる人の物語は、「希望」そのものかもしれない。なら、SFは、本当は大きな力を持っているのかもしれない。




 今の私には、希望と言えるものなんかないけれど、何とか生きている。
 これって、SF読んでるから…なわけはない!