hyla’s blog

はてなふっかーつ!

「TAROの塔」


 今朝、新聞を見たときに、今夜「TAROの塔」があるのに気づいた。以前の放送はちらりとしか見られなかったけれど、よくわからないなりに何だかひどく惹かれる所があったので、今日のは見てみたいと思った。


 岡本太郎は、万博の太陽の塔を創った人で、テレビで「芸術は爆発だ」と叫んでいた人としか知らない。万博の熱気もテレビでしか知らないし、本物の太陽の塔をそばで見たことがもない。80年代に盛んにテレビに出ていた太郎は、どこか時代送れに見えて、その過剰さが嫌だった。
 


 けれど、今「TAROの塔」を見て、テレビに映る岡本太郎の記念館の庭に残る様々な不思議に有機的なオブジェをみて、そういう作品や生き方が強く印象に残る。
 そして、見終わって、何だかぼろぼろ泣いてしまった。

 

 今60年代〜70年代に流行った物を見ると、80年代には野暮に見えたそれらが懐かしく美しく見える。ヘプバーンのまとうタイトなスーツやひるがえる長いフレアースカート。あるいは、極端に短いミニスカートのワンピース。曲線のプラスチックの椅子。オレンジや黄緑の原色の花柄。
 ノスタルジーというものは、希望も醜い欲望もひっくるめて、何もかもを美しくするのだ。


 
 けれど、岡本太郎には確かにそれだけはない、強く人を引きつけて止まないものがあるように「TAROの塔」を見て思った。
 自分に正直に生きる事は、とても苦しい。強さも脆さも、ひりひりするような自分をさらけ出し生きる事はとても恐ろしい。他人の何気ない言葉にも容易に傷つく人は、そんな自分を隠して何とか自分を守ろうとする。けれど太郎にとって、そういう生き方は決してできないことだったのだろう。生きる事は、その生きる作法そのものが自分の芸術だったのだろう。そして、そういう太郎とそのままに受け止める敏子がいて、だから太郎は生きられたのだろう。

 
 ああ、そうか。そういう太郎と敏子の結びつきと、そういう二人の創ったものが、今人を引きつけて止まないのだ。



 一昨年東京に行った時、列車を乗り継ごうとして歩いていた時に、いきなり太郎の「明日への神話」の前に出た。時間もなく空港へ急いでいたけれど、それでも大きな絵を眺めずにはいられなかった。
 
 
 
 いつか、たくさんのオブジェの並ぶ岡本太郎美術館の庭に行ってみたいな。



 って、いつかって、いつなんだ…。