hyla’s blog

はてなふっかーつ!

「格差社会」

 

 正月用に、とあるところから本を何冊か借りてきた。新書しかないところなので、借りたのもみんな新書。その中の一冊がこれ。

 

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

 読みやすいが、新年早々に何ともな〜、ってネタであった。これは、2006年の本で、まだ自民党小泉内閣の頃に書かれた本なので、格差が日本社会に存在していることを複数のデータで明確に証明すると共に、その問題点を述べている。これらの事は2006年時点では新鮮であっただろうが、格差社会の危険性の指摘がこうしてなされているにもかかわらず、現在においてそれらの多くは顕在化し、格差社会の危険性についての認識は共有されてきている。
 著者は、日本の社会は小泉内閣の「構造改革」以前から、リバタリアンよりの「小さな政府」でしかないのに、より「構造改革」という名の社会保障の切り捨てを行う事による危険性を指摘した上で、セイフティネットの見直しや、税の累進制の復活などの提言を行っている。今、目に見える様々な形での問題を受けて、所得の再分配機能を復活させ、安心できる社会保障の構築を構築させること。あまり力のない普通の人々の間で、そうした欲求はますます高まっているように思う。
 
 政府は、自民党の小泉から阿部、福田、麻生と迷走し、更には多少なりともましかと子政権交代した民主党の鳩山、管とめまぐるしく移り変わった。けれど、実際急激に変化する社会の流れに政府の対応策が追いついているようには、あまり思えない。国民も、それをリードするべき政府与党も野党も、みんな互いを貶すばかり。誰しもが自信を失って、内輪もめに終始しているようにしか思えない。


 著者はこうした現状の解決の為に、社会保障の充実などの提言を書いているが、グローバル化がますます進む現状においては、解決策もこれまでに比べ効果が弱く、対応策がザルのように国外に漏れ出してしまうこともあるだろう。まず生活の安定、すなわち雇用の確保が重要という認識で、先日法人税の減税が行われたのだろうけど、これは本当に雇用を生み出すだろうか?雇用が産まれてもそれが日本の困っている人に行くとは限らない。
 
 

 だからこそ、内向くなら日本人どうしで、互いの智恵を集め、協力していくことが大事なんではないだろうか?
 「格差はどこにでもあり、格差は悪いものではない。」「成功者をねたんだり、能力ある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない。」と小泉首相は言ったけれど、「格差はどこにでも産まれるバラバラになっていくからこそ、それを防ぎ互いに協力しなければ負ける。」のではないだろうか。

 日本人の強さは、恐らく集団でこそ最も発揮されるタイプのものだろう。だからこそ、内向きになるならせめて、日本人同士の間では持ちつ持たれつ、互いに多少なりは迷惑をかけつつ面倒をみつつ協力いくべきだろう。そして、互いに繋がっているという安心感は、別に政府が変わらなくても、互いに与え合うことはできる。
 
 孤独に、社会を恨み、家族を恨み、自分自身を恨み、ゴミだらけの部屋で一人で過ごす正月を送ることもできる。けれど、明日が、今がどれほど不安であれ、とりあえず誰かに、見知らぬ人でもいいから、「おめでとうございます」と言って笑顔でいることはできるはずだ。政府が、民主党が、企業が、誰かがではなく、今の私達一人一人が誰かと繋がり、その繋がりを広げて行くことはできるはずだ。
 かつて、「家族」「親戚」「地域」「会社」といった濃密なネットワークで繋がっていた私達は、ひょっとしたら経済不況より何より、私達自身が個人というミニマムな存在にバラバラに切り離されてしまったからこそ、不安で自信を失ってしまったのはないか?

 昔と同じネットワークは、今の社会では完全に機能しないかもしれない。けれど、今の社会に合ったまた新しいネットワークを構築することはできるはずだ。
 同質性が高く、細かく凝り性で勤勉、といった日本人にはよくある特性は、一つ間違うと今がそうであるように、少しでも異質なものは排除しようとする方向に働く。けれど、同時に、互いに対する繊細な気配りができることでもある。
 
 今の現状を見つめることなく、「政府が○○してくれない」「○国はバカ」と言っている場合ではない。何もしていないのは、私達自身ではないのだろうか?確かに生活に追われ、仕事に追われ、精神的に追い詰められ、何もかも嫌になって自暴自棄になることもある。
 けれど、ほんの少しでも優しい気持ちになれたとき、家族に親戚に、隣の人に、会社の同僚に、同級生に、通りすがりの人に、お店の店員さんに、犬にでもいいから笑顔で話しかけることはできる。
 

 私達はつながれる。そして、繋がった私達は、とてもとても強くなれる。
 たとえ、一人で死んでいっても、誰かがそっとお線香を上げてくれる。私自身がそうするのなら、それを信じられる。

 
 
 そして、強くなれる。自分を律することはできる。それは多分社会の安定性を産むだろうし、社会的なコストを下げる事にも繋がるだろう。

 

 格差の広がった今の日本社会システムを立て直すことは、容易なことではない。今すぐには到底解決できない問題は山積みだ。けれど、ただ解決してくれることを待つだけでなく、各々ができる事をするべきだろうし、その中にはとてもシンプルで誰にでもできる事がたくさんあるのかもしれないと思う。

 

 甘いかな〜。