hyla’s blog

はてなふっかーつ!

「レッドデータガール」

 何となく、うだうだ〜ってなっていて、何でも良いから一気に読めるものは無いかと、これを借りてきた。一気に1巻から3巻まで。

 
 この本のことは、だいぶ以前から書棚に並んでいたので知っていた。作者は「空色勾玉」の荻原規子だから、そこそこ面白いだろうと思いつつ、なんだかタイトルから「ル・ガルー」を読んだ時の残念さが連想されて借りる気にならなかったのだ。が、もうとにかく一気によめるもの、と思って借りてきた。


 そして一気に読んでしまった。


 で、やっぱり荻原規子だな〜、と思う。平易な言葉でイメージが湧きやすい文章は、非常に上品で好きだ。ありふれていて誰にでも書けそうでいて、本当はとても難しい「平易」であるということ。子供にわかりやすいということ。それを、これだけ鮮やかにやってのけるのは、さすがだな〜、と思う。また、主人公達は崇高でありすぎることなく、それぞれに主たる読み手である主人達と同年代の悩み事もちゃんとかかえていて、だから読み手の腑に落ちる。
 


 ただし、非常に良いレベルの作品ではあるのだけど、現代を舞台にした物語だけに、これにのめり込み過ぎる読み手もあるかもしれない、と少しだけ気になった。
 
 
 大人である私が読めば、良い作品ではあるけれど、リアリティーという点には実は乏しい。「空色勾玉」の方が、時代背景と物語がきっちり合っていて綺麗で、同時に神話の持つ時代を超えた普遍性が伝わってきて、そういう点でリアリティーがある。
 
 けれど、これは現代ものであるが故に、東大進学を目指すイケメンの男子が下僕で、何もできないダメダメな主人公は実は神おろしをする「巫女」で…。って時点で、なんだか「ライトノベル」にありがちな設定だな〜と思ってしまうのだ。とはいえ、萩原規子だからそこはきっちりとしていて、登場人物達もちゃんと血の通った人間らしい物語なっている。だから、読み手によっては危険だな〜、と思う。
 
 
 10代前半は、それまでの全能感に満ちた子供時代から、たくさんいる人間の一人でしかないことを知り、更に自分の能力の限界を少しずつ悟り出す時代だ。そういう時期にはどうしても、「本当の自分は特別な人間なのだ」という幻想を満たしてくれる物語が、ファンタジーがフィットする。そういう物語を読んで、物語に入り込んで主人公と共に人の未熟さや愚かしさを知っていくことは大切な事だけど、それでも物語は物語だったりする。それを踏まえつつ、現実の、例えば「今度の隣の席は○○さんになってしまった。」とか「○○先生は嫌。」とかの日々の悩みに向き合い、自分にとっての嫌な現実を許容できるスタンスを手に入れなければならない。それは自分の心の持ち方であり、相手に対するコミュニケーションのとり方でもある。
 
 
 この物語は、良くできている。しかも設定は学園だったりするので、中学生・高校生にはとても身近だろう。けれど、やはり主人公達はそもそも特別な存在なので、のめり込んで読みつつも、だから自分も実は特別なんて思いこんだり、現実をおろそかにすることはとても危ういことだ。物語にのめり込みやすい性質を持つ子供は、言葉に対して敏感だろう。だから、現実の「言葉」によって傷つくことも多いかもしれない。10代はファンタジーにはまりやすいし、だからそういう10代にファンタジーは危険でもある。
 この物語は、そういう危険な領域への垣根が低いような気はした。



 けれどまあ、萩原作品だから、最後は人間のあり方の基本をきちんと踏まえて終わってくれるとは思うと期待している。それには、物語がとにかく進行しないことにはダメなんだけど、どのくらいで物語は終わるんだろう。1ページの文字が少ないので1巻当たりの進行が遅いことはしょうがないが、これって3巻でもまだまだ物語の入り口じゃないか。


 と言うことで、物語が終わるまでに10年はかかりそうなことが最大の気がかりです(-_-)。