hyla’s blog

はてなふっかーつ!

豊島に参る 


 朝水やりをすませて、車で出かけた。今香川では「瀬戸内国際芸術祭2010」というのをやっていて、私もパスポートまで買ったのだが、この暑さにめげて未だに行っていなかったのだ。今日はたまたま平日のお休みだった。なら、と思い立って開催中の芸術祭に行くことにしたのだ。
 
 まずは高松まで車で走り、駐車場で車をとめたときにこう言われた。
 「月曜日なので、今日直島の方はほとんどの施設が休みですよ。」
 え?直島休み?まじ?(←予め調べろって)

芸術祭として最も人気のあるのは、どう考えても直島だろう。特に地中美術館は、整理券が出るほどと聞いている。だからこそ、そういう直島は平日にクリアしておきたかったのだけど、しょうがない。
ならば、と女木島行きの船の切符を買おうとした。が、女木島行きの船はなんと10時発である。この時点で、1時間以上時間があった。待ち時間がもったいない。一番待ち時間なく行ける島はどこだろう?と探してみたら、豊島行きの船だった。
 と言うことで、豊島行きが決定したのだった。(←計画性皆無)

 
 時間が来て乗り込もうとした高速艇には、乗り切れるのかと心配になる程たくさんの乗客がいた。直島ほどではなくても、豊島も結構人気なようだ。
 島に着き船から降りた所には、無料の巡回バスがある。西回りと東回りがあって、たまたま来たのが東回りにとりあえず乗り込んだ。(やっぱり計画性がない)豊島は結構大きいし、他の島に移動するほどの時間もない。丸一日かけてルートに沿って巡り、アートを完全制覇する予定にして、森万里子「トムナフーリ」から始まるアートのオリエンテーリングを一日頑張ってみた。

 



 
 しかるに、私は基本生物系。特に屋外系の作品では、アートを見に来ているくせに、それ以外の生き物が気になってしょうがない。ため池が緑で覆われていると、水草の種類が気になる。採集して、ミジンコウキクサだと言うことを確認せずにいられない。
 谷川にいるカニを見て、
 「あ、カニが一杯〜。こんなとこにもカニがいるのね。」(←東京アクセント)
 「サワガニだよ。」
 と会話する若いオシャレなカップルに、ついつい
 「サワガニとちゃう。アカテガニや〜。」と心の中で思いっきり突っ込みを入れずにはいられない。


  更に、私はお茶だのお華だのをやるくらいで、割と古いものが好き。古い民家なんてのも大好きなのだ。アートの中には、廃屋となった民家を改造した作品も割とある。そういうアートはそれはそれで悪くなかったのだけど、それでも展示されている家をみて、しみじみと少し哀しくなる。豊島は昔は豊富な水を使った農業で栄えていた島だから、どの家も古いけれどお金をかけて丁寧に建てられている。建具や床もケヤキを使っていたりするし、濡れ縁にゆがんで見えるガラスの入った引き戸もいいものだ。住むには不便だろうけれど、そういうものが住む人もなく朽ちていっているのはとてももったいないし残念に思えてしょうがない。
 塩田千春の「遠い記憶」なんかは、古い公会堂に古い建具を用いて創られたアートで、材料となった建具は使われなくなったものばかりだ。けれど、そうした建具の大半は埃を払いさえすればまだまだ現役でいけるものばかりだ。まだ使える建具がねじで打ち付けられ組み立てられているのをみると、作品として確かにとても印象深くあるのだけれど、一方で少し哀しいのだ。
 
 はっきり言っていささか場違いなそういう事を感じつつ、でもまあ頑張って全部の作品を制覇した。

 

 その中で最も印象深かったのは、クリスチャン・ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」だ。そこでは、世界中の人から採集された心臓の拍動の音が聞ける。

 暑い埃っぽい田舎道を歩いて行くと、突然角を曲がったところで海が見える。その海に面して低い真っ黒な建物が建っている。直線だけでできた真っ黒な建物の扉を開けると、内部はどこもかしこも真っ白で、そこに白衣を着た受付のお兄ちゃんがるのだ。
 


 展示室に入ると、薄暗い部屋の向こうの思い鉄の扉の向こうから「どん。どん。」と心臓の音が聞こえてくる。音で揺れている扉を押し開けると中は真っ暗は、細長い部屋の中程にランプが一つぶら下がっている。それが、音と共に小さく、大きく瞬くのだ。
 部屋に響く「どん。どん。」という音は驚くほど大きい。流れてくる心臓の音は、一定の間隔でどんどん別の人へ変わっていく。それに連れ、リズムも大きさも何もかも変わっていく。音は一つとして同じものはない。人によってこれほどに違う。
 けれど、そういう部屋の中にいると、まるでその音は自分の心臓の音のようにも思えて、苦しくなるほどだ。部屋は暗く細長くて、奥はまるで見えない。側面には、白い壁面に黒いガラスが不規則に貼られている。点滅するランプ。大きく小さく響く音。それは、産道をイメージさせるものでもあるのだろう。
 たまたま他にお客はおらず、気兼ねなくしばらくずうっとその音を聞いていた。


家に帰って調べてみれば、クリスチャン・ボルタンスキーという人はどうやらとても有名な人だったらしい。確かに、余計な突っ込みを入れることなく、自意識なんてものはおいといて、ただ光と音と振動を感じる事ができた。そういうのは悪くはない。
 豊島だけに丸一日使ってしまったけれど、ボルタンスキーや大阪芸大の「ノリとたゆたう」だとかを、ゆっくりじっくり味わえたってのはそれはそれで良かったと思う。


 とはいえ、まだ女木島と男木島と小豆島と犬島と、何より直島が残っているんだよね。

 会期の終わりまでに、果たしてどこまで制覇できるか…。