hyla’s blog

はてなふっかーつ!

NHKスペシャル「消えた高齢者”無縁社会の闇”」

 
 こういう気分になることはわかっていたし、だいたい内容としても明るくなりようがない。本当に最近発覚した問題だけに、まだそれに対する対策なんか皆目見当もつかないし、そもそも社会システムの問題が大きいから容易に解決できるわけでもない。でもNHKスペシャルでは、それが滅多に起きない特別な人だけの問題ではなく、誰にでも起きうる問題であることを丁寧に紹介していた。

 
 何というか、落ち込むね。明日は我が身ってか?
 
 
 とてもシニカルな見方をすれば、高齢者が黙って消えて、介護保険料も医療保険も使わないなら、多少年金詐欺があったとしてもトータルでは財政的にはかえってその方が負担は少ないかもしれない。以前放送した「無縁死」だって、家の中で脳卒中とかで倒れた場合、下手に家族に発見されて下手をすれば10年以上の介護を家族に強いるなら、あっさり死ぬ方が自分も家族もまだましと言えないこともない。

 
 でも、これは問題なのだ。何が問題なんだろう。


 問題の一つはとても現実的な問題で、自分で自分の事ができる内は良いけれど、心身の病気や高齢化で必ず自分の事ができなくなる時がある。更に死んだ後は、我が身の事をきちんと始末しようにも、どうにもならない。その時にどうするかと言うこと。無縁死の問題。これに対して、前回の「無縁死」では、NPO法人などに自分の死後の事を依頼し、墓も共同墓を申し込むという風景が写されていた。もし、そういう事が全国どこでもきちんとできるなら、ある程度の人数の人にとっては、これは何とか解決できる問題でもある。


 では、「消えた高齢者」を放置はできないのはなぜ?


 多分、その大きな問題は、縁を失わせると多分ヒトは人としてのパフォーマンスが低くなり、集団としても機能不全を起こしやすいからだろう。

 
 一人暮らしをするととてもよくわかるのだけど、一人暮らしって楽だ。好きな時に食べて、好きな時に寝られる。けれど、これって恐ろしい事でもある。私なんぞはかなり意志の弱いところのある人間だから、そうなると途端に自堕落な生活に陥るのだ。夏休みには決まって寝坊したタイプだもんなあ。ゴミ屋敷なんかは、そういう生き方の行く末を形にしたものとも言えるだろう。
 けれど、本人としてはとても窮屈だけど、血縁・非血縁を問わず他者と生活を共有すれば、さすがにそこまではなかなか陥らない。堕ちれない。文句を言われるから、不承不承にでも家事をする。お金も必要だから、仕事に行く。仕事にけば、そこでまたたくさんの他者と空間と時間を共有する。とことん自堕落にはなれない。そういうことで、個人のパフォーマンスは保てるのだ。

 
 更に、一人でできることは限られているけれど、多数が集まることで相乗効果が働き大きな仕事ができる。むしろ社会の活動のほとんどは個人ではできない。だから、集団でやることの意義・重要性について、学校なんかがが大人として社会に参入していく者に、時間とお金と大変な手間をかけて文化祭だの体育祭だのの行事をやることを通じて体に教え込んでいるのだ。
 また、そういう集団でいる・集団で活動する事は生存率を高く保つだろうから、集団でいることに快感や安心感を覚える心理が進化的過程において獲得されただろう。それは逆に、無縁で生きる場合には、大きなストレスとなって、生存率を低下させかねない。そして、そういう人からなる集団の能力も低下させる。それが今の日本だ。
 

 なら、どうするべきなんだろう。包括支援センターなんかはそれはそれで頑張っていると思うけれど、対応せねばならない人に対してあまりにも人員が少ない。それを手厚くするには、膨大な予算が必要で、それは今の日本では必ずしも容易なことではない。それに包括支援センターなんてのは、対処療法であって、根本的な問題解決にはならないような気がする。

 
 何をすべきなんだろう?何が重要なんだろう?

 
 趣味の集まりとか、ネットのオフ会なんかもあるけれど、やっぱり地域社会の復活が最も重要だろう。今それを復活をさせるべく「隣人祭り」なんて言うのも都会ではあるらしい。ボランティアとかNPO法人とかもある。
 けれど、やっぱり最大の問題はそれらの地域活動をする共通の時間がなかなか持てないというところではないだろうか?

 
 普通に仕事をしている私の場合でも、8時に出て8時頃まで仕事をする。土日にも出勤が入ったりして、へたれな私は家事をやるのが精一杯だったりする。もっと長時間働く人も現代の日本には山ほどいるだろうし、そういう人間が地域社会に出る時間なんてあるわけない。そんな生き方をしていた人間が弱者に堕ちた時、無縁社会に陥るのは当たり前だ。
 また、女性の社会進出が進んだってことは、専業主婦が減ったと言うことでもあり、それはかろうじて地域社会を支えていた女性のネットワーク(おせっかいなおばちゃん)すらもなくなったと言うことだ。
 
 だから、多分何とかするには、まずは職場に縛り付ける時間を少なくすると言うこととだと思ったりする。また、コンビニや時間指定で届く便利な宅配便なんかを成立させるためには不規則な労働時間で働く人が必要だ。不規則な時間に働いていれば、近所づきあいだって難しい。だから、病院の救急とかはどうしても必要だけど、それ以外はあえてもっと不便にするべきなのではないだろうか?夜の12時を遙かに超えて営業されるお店や夜も稼働する工場をできるだけ減らすのは無理だろうか?


 この不況の時代にそういう方向へ舵を切ることはとても難しいけれど、無縁社会の問題を是とするのでなければ、今何とかして社会全体を軌道修正するしかないのではないかね〜。