夏の始まり
朝、緑のたんぼの上に上ってくる太陽を見た。
今日はどこから見ても極上の夏空。
木の葉は深い深い緑で、強い日差しはその緑をさえ突き抜ける。
空はひたすらに青い。オオルリの青もカワセミの青も、美しいがやはり空の青ではない。
生き物は数百万種いて、それぞれまとう色の豊富さ、その多様性には驚かされるのだけど、この空と同じ青だけはその身にまとうものはない。
空の青は、どんな色も優しく受け入れる。浅い緑も、鮮やかな紅葉も、真っ白な雲も、黄色のハマボウも。
だから、ヒトはそんな色を様々なものに写したいと思ったのかもしれない。
内田善美の「空の色ににている」をめくってみる。
明るい日差しの中で、少し優しい気持ちになる。
昨日、高松での仕事を終わって職場に戻ると、小学校の低学年と思われる子供が2,3人、白い捕虫網を持って敷地の中を走っていった。その後を自転車で、母親と思われる女性が走っていった。
私の職場は敷地が広いし、たくさんの木が植わっている。桜の木もたくさんあって、毎年うるさい程にセミが鳴き立てる。不思議になるほどぴったりと、ちょうど今時分、学校の夏休みが始まる頃にセミは鳴き始める。
あの子供達も、おそらくそんなセミを捕りに来たんだろう。
今の世の中だから、職場の門には一応「関係者外立ち入り禁止」の看板が立ってはいるが、今でも誰も気にすることなく普段着のまま入ってくる。お爺ちゃんが、孫を連れてセミを採りに来る。保育園の子供が庭の花を眺めに来る。そのまた昔、プールがあった時分には、近所の人が塀を乗り越えて来ては、泳いでいたんだそうな。
そういう事を許せないと思うとき、たいてい自分自身煮詰まっている。
昨日セミ採りの子供見た時には、なんだか自分でもよくわからないけど優しい気分になった。
この夏の間、できる範囲でいいから、優しい人間でいたいものだ。