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モスラの精神史

 

モスラの精神史 (講談社現代新書)

モスラの精神史 (講談社現代新書)

 「何でも良いから、何か買いたいと。」と、思ったときに衝動買いしたまま放置していたのを今回読んだ。


 で、まず感想は、「この人、モスラが好きなんやね〜。」

 

 だけど。そういう自分もこんな本を買うくらいで、モスラは好きである。
 
 モスラは、その独特の雰囲気で特に印象に残る作品だけど、これ以外にも60〜70年代 の怪獣映画にはテレビのものにも印象に残るものが多い。怪獣はみんな怪獣墓場にいて、そこからおっこちてきた怪獣が帰れなくて困って泣いてしまってたのは、あれはウルトラマンのどれだっけ?シーゴラスも好きだったなあ。
 だけど、ラドンゴジラガメラよりも、やっぱりモスラなのだ。
 

 そもそも、モスラは蛾である事からして魅力的。それでもって、奪われた小美人を取り戻しに遠くはるばると芋虫なのに苦労して海を渡り、街を越え、しまいには蛾となって大洋を渡って小美人を取り戻す。
 蛾という生き物は、かなり「走性=刺激に対して方向性をもって行動すること」があるけど、走性って場合によっては「飛んで火にいる夏の虫」的な残酷さを作り出す。けど、小美人を取り戻すという走性的な一途さだけでほとんど攻撃するような手立てもなく立ち向かい、傷つき、ひょっとしたら死ぬかもしれないけれど、モスラはやってくるのだ。
 もうそれだけで、一気に感情移入。そして、小美人を取り戻したら静かに帰って行くので、南の島で傷を癒すことができるかな〜、と思わせてくれる。
 
 そういうモスラは、けれど、現代という時代には決して合わない。多くの怪獣がそうであるように、モスラも怪獣だけど滅び行く儚い存在で、モスラモスラとして行動しているだけなのに、攻撃され、滅ぼされようとするからそこには滅び行くものの美みたいなものがかんじられてしまう。
 さらに、60年代の映画だから、映画もその時代を色濃く反映し、それ自体失われたよき時代の感がある。特に、私はモスラはリアル世代ではない。そもそも自分は映画館でモスラをみているのかどうかも判然としないし、仮にみていたとしてもどのモスラよくわからない。
 だから、リアルでは覚えていないからこそ、豊かな自然がまだ残っていて、でも発展する未来を信じる事ができて、コミュニティやが機能していた時代は、輝いて見えて、だからかつてそういう時代が合ったことが悲しいんだろうね。

 

 と、いった風に、モスラについてはついつい暑苦しく語りたくなるのは、じゃあなぜなのか?

 

 という問いに対しての答えはp239〜240にある。

 
 

原案者であるフランス文学を中心にヨーロッパも日本の古典文学も視野に入れた中村真一郎たち三人から、蛾を巡る奇想や政治的なインスピレーションを引き出した。南島思考を持った映画の経験豊富な関沢新一が動きのあるシナリオへと変換した。ロバート・フラハティ監督の「アラン」などのドキュメンタリー映画や海に憧れた本多猪四郎が本編を監督し、「キング・コング」や飛行機にあこがれた円谷英二が特撮をする。さらに若くしてイギリスの音楽祭で作曲の腕を認められ、行進曲と歌謡曲で名をあげた関谷祐而がレビュー用の曲までつくって支えた。
 記憶に残る作品となったのには、それなりの理由がある。各自が西欧化した視点や技術を習得し、それぞれの戦争体験を経て、実は立場や価値観がかなり異なるとはいえ、個性的な才能がいくとも結びつき1本の映画ができあがったのだ。 


 制作に関わったそれぞれが、その時の時代を反映した自分の思いを盛り込んだから、様々な要素を含み、だから、見る人がまたいろんな事を感じ取ることができたってところか。

 でも、こんなものを読むと、なんだか昔の特撮映画を見たくなる。マタンゴとかガス人間。テレビで見た気球で嵐の中を飛んで不時着したら怪獣の島だった洋画はいったい何だったんだろう。

 
 部分的にしか残ってないそういう映画の思い出は、映画自体の時代性と、それからそういう映画にわくわく・びくびくした自分の子供の頃の、単純で幸せだった感覚があって、だからみたいと思わせるんだろう。実際には見ないで、ふと思い出すことが一番甘美な味わいかもな・・・。