ドラマ「白州次郎」
夜、ぽっかりと時間ができて、テレビを見てた。テレビ自体あんまり見ないし、特にドラマなんかほとんど見ない。連続物は特にまだるっこしさが嫌いなんだけど、これはじっと見入ってしまった。
どっちがより有名かは判らないけど、いろんな観点でいろんな人が憧れを持つ白州次郎、昌子夫婦。その白州次郎の物語。普通のドラマの雰囲気とは随分違っていて、全体がセピアの色調と印象的な音楽に彩られて、癖のある人物達の一瞬のエピソードの積み重ねから物語が浮かんでくる。その5.6分の一つの物語だけでも、十分に独立して奇麗な絵で印象に残る。
そういう中で一番印象に残ったシーンは、今日再放送のあった第二話の最後の方であった、次郎と昌子の喧嘩のシーン。
酔っぱらって朝帰りした昌子が出かけようとしている次郎と会って喧嘩をふっかける。
「何の役にも立たない。子育ても家事もできない。こんな女を誰が必要とするんだ。自分自身がなんなのか判らない」ってな事を、昌子が言う。
酔っぱらいの戯言だからこそ言える弱音、迷い、本音。
身支度を調えて大切な仕事にでかけようとした時に帰ってきた酔っぱらいがこんな事を言ったら、どう考えても「めんどくさー」ってな所だろう。そもそも相手は酔っぱらいなんだし、適当に流して放置するだろうし、腹をたてるだろう。しかもその酔っぱらいは妻だ。その時代の普通の感覚では、いや今の時代でも「ありえねー」ってところ。
けれど、これは本当はとても大切な瞬間で、普段弱みを出さない人間が酒の力を借りていても、それをぶつけてきたのだ。それを放置して出かけてしまったならば、男と女は大きくすれ違ってしまうことは間違いない。心は離れていくだろうし、互いの成長にもつながらず、バラバラになるしかない。
そして、次郎はその言いがかりとも言える昌子の言葉に返答を返す。
「君は唯一無二のチャーミングなライバル」と。
そして更にこんな感じの事を言う。
「自分だって迷ってばかりだ。けれど、自分を信じれば良い。他人の言葉に振り回されるな。昌は昌であれば良い。それが一番大事だ。」と。
そのままの自分で有れば良いという言葉。それは誰しもが欲しいと願う言葉だ。一番嬉しい言葉だ。
良くも悪くも強い癖を持ってしまった者は、それが故に得てして集団に上手くとけ込めない。とても好きな何かをもってしまうと言うこと、自分の好きな事をおさえきれないというのは、実際ワガママなのだ。けれど、それは上手く働けば才能に成る可能性でもある。
何の変哲もないフツーの生活を送っているだけではいけない。何かをなさなければいけないのではないか。そんな訳もない焦りと何かへの行き場のない情熱と、でもフツーが出来ない劣等感と、夫次郎がその才能を発揮してして活躍している事への劣等感と、そんな自分は嫌われてしまうのではないかという不安。そして、だからいつもイライラして、そういう自分を常にもてあましている昌子。
そんなものを、大きな仕事を抱えて出かける大事な時間を割いて、抱き留めて「そのままでいいんだ」と次郎が語る。だから昌子は「白州昌子」として生きていけたんだろうなあと思った。
自分の気持ち、それもネガティブな気持ちを口にすることは、とても難しい。そしてそれを上手く受け止める事もまた難しい。けれど、互いにネガティブな感情もぶつけ合って、互いを分かり合っていく事が互いを支えることにつながるのかもなあ〜。
ってな感じの事をぼーっと考えながら見ていたのだけど、最後の方に流れていた音楽が、また印象的だった。「しゃれこうべと大砲」という曲らしい。好きだな〜この音楽。
音楽や役者、撮影と、かなり気合いを入れている事がすぐに判るドラマで、民放のドラマとは一線を画す感がある。さすがにNHKかな。
明日も見てみよう。