hyla’s blog

はてなふっかーつ!

久々テレビでだらだら考える

夜、ぐーぐー寝るジョジョちゃんの側で、NHK特集を見ていた。

 NHKスペシャル

 今の大きく動いている社会の変化について、お馬鹿はお馬鹿なりに判りたいと思ったりすることもあるのだ。で、さすがにNHK特集で、私のような素人でも判りやすく現在の大問題になっている自動車危機について説明してくれた。

 アメリカなんかのGMやクライスラーの危機って、もの凄いことになっているけど、その根本的な原因って、GMが自動車を製造して売る会社じゃなくて、本来売れないはずの車をローンで売ってそのローンを金融工学を駆使してなぜだかAAAの証券として販売することで利益を確保していただけ。で、なぜだかAAAになっていたけど、本当全然安全でもなんでもないローンを元にした証券だったと言うことがサブプライムローンなんかと一緒にばれて、で、全てがダメになったということらしい。

 テレビに映るGMの本社は、超高層で夜の闇の中できらきらと不思議なくらいに輝いていたけど、確かあの本社ビルさえ売りに出していたと聞く。そもそもコスト削減が十分にできてなくて、販売戦略としても売れる実用的な車を作っていないことで、危なかった現実を、証券化という魔法の手段で隠すことで更にのっぴきならない所まで放置してしまったのだろう。都合の悪いことを隠すと更に現状は悪くなるってのは、個人でも会社でも同じ?

 そういうGMが本当に再建案をきちんとまとめて政府による資本注入を受けられて、何とか生き延びることができるのだろうか?ひょっとしたらGMという会社が亡くなってしまう可能性も十分あるのかな、と見ながら思った。


 GMのみならず、日本の自動車産業自体も北米市場頼みが響いて苦況が続いている。けど、そもそもの北米市場がバブルによって成立していたのなら、適正規模に落ち着くまでにでも何年もかかるだろうし、元に戻ることはあり得ない。では、日本でこれから自動車が売れるか、というと人口の減少が始まっている以上それも難しい。じゃあ、中国やインドということになるのだろう。


 確かにそういう国に持って行けば、ある程度売れると思うのだけど、私は日本で車が売れない、物が売れないという現状を本当はもっとかんがえなくちゃならないんではなかろうか、と思ってしまった。

 
 とりあえず、100年に一度の規模の不況、あるいは恐慌によって消費が冷え込んで・・・・、って感じに報道はされているけれど、景気がよくなっても本当に物は売れるんだろうか?何だかよくわけの判らない実にくだらなさそうな「定額給付金」なんてのが、まさかと思ったのに本当に配られるらしい。けど、例えば一人1万2000円の現金をもらって、どうするのだ?何となく生活費にとして使ってしまうことはあっても、何かを買おうとか、そういう気持ちが全く起きなかったりする。
 
 いま欲しい物は?

 と聞かれても、即答できる答えはないのだ。





 毎日の生活に困らない食べ物と住むところと、人並みの衣類と、たまにささやかな贅沢ができたらそれでOKだ。


 他に必要な物って何だろう?

 おしゃれと言われても、服があふれるほどにあっても、管理に困るし処分に困る。
 薄型テレビとかの高額家電も、あったら便利とはおもうけど、別になくても困らない。
 

 


 昔「内需拡大」が連呼されたときには、「「内需拡大」だから、これくらいはいっか〜」なんて気分で買い物をしたりもした。その時にデパートで買った小さなラリックのガラスのカエルは、今も部屋の隅にいて、これはこれで好きだ。けど、今同じようにちょっとした贅沢品を買うか、というと買わない。つか、その気にならない。

 そして多分その最大の原因は、気分に余裕がないから。時間に余裕がなくて、気分に余裕がなくて、だから購買意欲もおきない。


 つか、本当に欲しい物は、時間だ。


 今年になってから、思いついて職場を出る時間をメモってみた。10月や11月に比べると1月は随分ましなんだけど、それでも平均して、毎日2時間弱の残業をしている計算になった。実際には、持ち帰りの仕事もしているし、休日出勤もある。これらを合計すると、多分月80時間とかいう過労死ラインを超えることは、別に難しくない。そういう私が、職場では特に忙しい方でもないというあたりが恐ろしかったりする。


 もし、5時には仕事を終えて帰ることができ、休みは本当に休みなら、出かける意欲もあるだろうし、買い物にもいくだろう。気まぐれに美しい物を買ってみるかもしれない。旅行にだっていくかもしれない。
 また、一日のなかで十分に時間をかけてプレゼンをでき、手応えを感じられる日々なら、同じく精神的にダメダメになることもない。時間があれば、いろんな事に十分に時間をかけることもできるし、そうすれば仕事の質も上がるし、それこそ本当の意味で生産性の向上ではないのか?
 

 
 けど、正社員として働くなら、ぐったり疲れて帰宅すると何もする気になれないレベルまで働くのが当たり前。そうでないなら、食べるのにも困るほどの低賃金。どちらにもしても、これじゃ購買意欲なんて起きるわけないじゃないか。



 多分、それなりに物の売れる環境は、分厚い中流層を維持することに寄って生じる。物を売りたいのなら、それを取り戻す方策を考えなくっちゃいけないと思う。多分、中国やインドにむけて物を売り込んで一時的に販売を確保しても、そうした国でも今の日本と同じような状況が生まれてしまう可能性も十分ある。


 
 

 第二次世界大戦ほど劇的じゃないけれど、今のこの時代は様々な点でおおきな転換点である可能性はある。そういう時代において、100年先、200年先をにらんだ「最大多数の最大幸福」って何なのかと言うことを、政府が、(本当は私たち自身も)多分考えることが必要なんだろうな、とついついSF的思考に慣れている人間は考えてみたりする。



   

 しかし、その前に明日の段取りから・・・だな。