hyla’s blog

はてなふっかーつ!

朝市にて


 今朝、たまたま朝早くに出かける用事があって、帰りに近所の農協の朝市によった。宵っ張りの朝寝坊タイプの私は、基本的に朝しか開かないそこにはほとんど行ったことはなかったが、なかなか物は安い。野菜は市価の半値ほどで、しかも新鮮。

 あれこれと野菜を物色して買い物籠に入れながら何気なく前の男性を見ると、何となく違和感があった。地味なズボンにジャンバー姿で20代後半から30代、買い物籠に白菜やセロリーを入れている。見ると、同じような男性が6.7人にて、仲間らしく会話を始めたのだけど多分中国語だった。そっか・・・。

 これまで、国道を自転車で走る中国の若い女性はしばしば見ている。染めてないストレートの髪を一つにくくってジーパンにカラフルな色のジャンバーの女性が2,3人で入っていたら大抵中国の女性だ。恐らくは近くの工場に出稼ぎにきているのだろう。そういう女性に加え、男性もきているのだな、と当たり前と言えば当たり前な事に気付かされた。

 
 私の住む街はごく普通の田舎町だけど、こんな田舎にさえ中国の人はどんどん増えている。もし、彼らが報道されるように中国でも所得が年間で数万なんて所に住んでいたら、干害がどんどんひどくなって農業ができなくて住む場所を失った人なら、環境汚染の只中に住んでいたのだったら、こんな田舎であっても日本の方が住みやすいかもしれない。そしてそれなら、日本人と結婚して、あるいは出稼ぎに来た者同士で結婚して、日本に住み続けるという選択を始める可能性はかなりあるなあと思った。故郷は確かに捨てがたいと思うけれど、もしその故郷が砂に覆われて失われてしまったなら、更に同じように日本に住む仲間がいれば、日本に定住したいと思うかもしれない。

 
 けれど、彼らが地場産業の工場で働くと言うことは、これまでそうした工場で働いていた高卒の若者の行き場はもはやないということだ。大学や専門学校へ行くほどの余裕がなく、奨学金を取れるほどの意欲や成績のない若者が働く場所は、もはやサービス業くらいしかない。そして、それってとても少ない。
 
 

 そう考えると、これって酷く危うい状況のような気がする。ネットだけでなく、田舎のごく普通の生活の中にも、露骨なナショナリズムが生まれてくるかもしれない。それでも一端できた流れはそうそう変化はしないだろう。とすれば、私たちの社会は今後様々な変化を強いられるだろう。例えば、日本人的には当たり前な文化的な慣習は、それを維持できるだろうか?学校教育一つにしても、これまでとは全く異なった対応を要求されるかもしれない。
 

 と、そんな事を考えながら、図書館から借りたこの本を読んだ。
 
 

本当の中国を知っていますか? ――農村、エイズ、環境、司法

本当の中国を知っていますか? ――農村、エイズ、環境、司法

 
 

 タイトルと目次をみれば、この人が中国に対してかなりネガティブな考えを持っていることは判る。で、読んでみて、とてもくだらない本だった。

 別に著者の考えに対してどうこう言うことはない。個人の考えは人それぞれだから、それはそういうものだろう。とはいうものの、公平なジャーナリストとして「本当の中国」について語るなら、ネガティブな面だけでなくもう少し多面的に見る必要があるだろうし、それが不可能なら何か一つに絞り込んだ組み立てが必要だろう。
 
 
 けれど、何より問題なのは文章。この本の文章は酷く読みにくい。これは多分、文章の中に「話を戻そう」とか「後から思えば」とか「結論を急ごう」とか「先程も述べたように」などが多すぎるのだ。新聞の文章は、何かのエピソード→原因についての分析という風に流れて、エピソードでイメージをふくらませつつ、分析は図表を用いながら判りやすく述べるのが普通だろう。しかし、この文章は話がどんどん飛びまわり、結局何が言いたいのか、文章構成がとてもつかみにくい。しかも文章がまだるっこしい。もっと平易で判りやすい表現がいくらでもあるだろうに。

 
 例えばこんな文章がある。

 「北京に駐在する外国人記者が、中国要人に直接取材する機会は実のところそう多くない。」

 これって
 「北京に駐在する外国人記者は、中国要人に対してなかなか直接取材できない。」でダメなの?
 

 更に、%データなどの記述が出る割に、グラフもない。
 
 
 
 で、私はこの本はダメだと思うのだけど、そんなこの本がそれなりに売れているらしく、手元の本は第二刷だったりする。と言うことは、今の日本においては、扇情的に中国をこき下ろす情報が望まれているという言うことなんだろう。それって、何だかなあ・・・。



 まあ、この不況で情勢はまた変化するかもしれない。どう変化するのか、いやさせるのか。もはや私たちは、当事者としての判断を求められているのかもしれない。

 

 にしても、みんな大きなセロリーを買って帰ってたのは何でだろう?
中華料理にセロリーって使ってたっけ?