hyla’s blog

はてなふっかーつ!

春を歩けば

フジ



 朝から鳥を見てあるいた。個人的にやっているラインセンサスのデータ採りである。そんな事をやって何の意義があるかといえば、多分さっぱりない。データというのは、きちんと分析してそれなりの形に仕上げて文章にして投稿できて、始めて意義が生じる。それができない(時間と意欲と能力の不足)のならデータとりだけやってもあんまり意義はないのだけど、一端始めたことは止めにくくって、結局今年もやっている。

そんな状況なので、やるのは一人。つか、人を連れて歩くのはあまりにしんどい。
 
 ふらふらと双眼鏡とメモを持って歩くおばちゃんは、バードウォッチングする人がほとんどいない田舎にあっては怪しい人以外の何者でもない。しかも、ツバメが巣作りし始めてるところやテントウムシが交尾していたりすると写真を撮ったりするからますます怪しい。はっきり言って、肩身が狭い。
 「あたしは怪しく見えるかもしれないけど、怪しい人ではありません!」と背中で叫びながら歩く。

 
 藤の花房に訪れるクマバチを眺め、濁った水の中を悠然と泳ぐコイを眺め、日向ぼっこするウシガエルミシシッピアカミミガメを眺め、白い花を咲かせたクレソンの花に舞うモンシロチョウを見る。カワラヒワの鮮やかな黄色を確認し、低く通り過ぎるツバメが口に泥をくわえていることを見て、川の中から聞こえるキジの声に姿を探す。

 至る所で田植えが始まり、耕耘機の音が低く響き、耕された土には鳥が群がる。田圃の縁に留まっていたムクドリを双眼鏡で確認してみると、口にオケラを咥えていた。だけど、いつまでたっても飲み込まずそのまま飛び去っていったのは、餌を誰かにやりたかったのか、それとも満腹だったのか。河口ではハマシギの群れが忙しげに餌を採り、上空をミサゴが飛んでいった。
 
 川の枯れアシの中からは新芽が覗き、もうすぐノイバラが一面に咲くだろう。鳥たちが、いや何もかもが忙しげに新しい年の繁殖に取り組んでいる。


 そういうもの達を眺め、いろんな事を考える。

 
 私も一応は社会人をやっているので、人に接するときにはテンションを上げて明るく和やかに接する。けれど、基本はとってもネクラなので、決まってそういう一日の後は反動でぐったり疲れてしまう。誰に対しても気を遣わず、鳥を見て春を見て一人歩くのは気楽だ。だけど、そんな時は明るい春の緑の只中にあって、鳥をカウントしながら、同時に思考は深く沈んでいく。
 

 そして、自分の愚かさや無知や無能力や・・・、自分が自分であることが心底嫌になる。
 
 誰かたった一人で良いから、仕事でなく知識でなく努力でなく、ただ私という人間を認めてはくれまいかと思う。
 

 

 春の憂愁・・・。







 ああ、大人げない・・・・・・orz。