アブラコウモリ
当番で、朝7時に出勤した。建物の鍵を開ける当番である。重い門を開けて、マスターを持って鍵を開けて回っていると、少しずつ人の姿が見え始めた。
20分ほどかけて、だいたい鍵開けを終わって新聞を取っていたとき、声をかけられた。
「何か、あそこに変なもんがおるん。」
指さされた前庭には、何もいない。
「何がおったん?」
「何かネズミみたいなん。」
「大きいん?動っきょった?どの辺?」
「何か始め見たときと、違う所でも見た。あの辺やけど・・。」
と、歩き出した。一緒に歩いて、がらんとした前庭のほぼ真ん中あたりに来ると、突然立ち止まった。
「あれや。あの黒いぶん。」
見ると、枯れ葉の固まりのようなものが見える。怖がって近づかないので、そのまま一人近づいてみると、小さな黒い毛の生えた固まり。ごく軽いその体を拾い上げると、手の中でもがいて必至に噛みついてきた。人の皮膚に歯はたたないけれど、結構痛い。けれど、そっと手の中で握るとやがて落ち着いた。
「ああ、これね。」
「ええっ!触るん?平気なん?」
「別にこれって害はないよ。見てみーまい。ちっこいやろ。これはネズミでなくって、コウモリ。アブラコウモリ言うんよ。この建物にもいっぱいおって、夕方になったら出てきて虫を食べてくれよるよ。」
「ええー。きしょい。それどないするん?」
「休めるところに置いとくわ。夕方になったら飛んでいくやろ。」
と、アブラコウモリをもらって席に戻った。
私の勤めている場所は古い建物なので、こういうアブラコウモリは建物の隙間にいっぱいいて、年に1.2匹は誰かがくれる。そのたびに説明して逃がしてやるのだけど、今年は初めてだ。せっかくだからと思って、明るい所にでて写真を撮った。左手に握ったコウモリの顔をにピントを合わせて、オートフォーカスをかける。けれど、どうも写りがよくない。何でだろう?と考えて、目の勢いがない事に気づいた。
コウモリは暗闇で生きる動物だし、エコーロケーションをするから目はあまり発達せず耳が大きい。けれど、それにしても目が小さい。というか、弱っていないか?
カメラを置いて、そうっと全身を改めてみる。左の翼を開いてみる。そして右・・・。
あ・・・・・、これ・・・・・。
開いた右の翼は、中央部が下から大きく裂けて、しかもねじれている。完全に上腕骨が骨折して内出血しているのだ。これでは飛べるわけもない。これで飛べなかったんだ。これで巣に戻れなかったんだ。
そのままでは飛べない。巣に戻れない。餌が採れない。死んでしまうだろう。けれど、裂けた翼手は素人でなくてもどうしようもない。鳥の翼の羽根が抜けてないだけなら、餌さえやっておけばやがて羽根は生えてくる。けれど、裂けた皮膚は復元できない。これほど小さなコウモリの骨折も、どうにもしようがない。
一気に暗い気分になる。けれど、何もできない。
どうしようと思った訳でもないが、とりあえずそのまま窓の外の風の当たらぬ温かそうな場所にそっと置いておいた。
昼過ぎ、思い出して窓を開けてみる。そこには、朝と変わらない状態のコウモリがいて、持ち上げたらもう硬くなっていた。
生きることは、結構難しい・・・。