hyla’s blog

はてなふっかーつ!

北海道と言えば・・・

 北海道へ行っていた。

 
 仕事で札幌や小樽に行っていたのだけど、北海道というと普通おみやげは「白い恋人」だ。なんだけど、今回は本当に見なかった。製造元の石屋製菓は、例の賞味期限改ざん問題で製造停止を食らっていたけど、11月に入って製造を再開したということだったので、もう買えると思ったんだけど、甘い甘い。どこの土産物店でも「白い恋人」は売って無くて、唯一見たのは帰る間際の千歳空港。それも20センチくらいの一番小さな12枚入りの箱しかなくて、それも遅い時間には無くなるのだそうだ。ついでに、28枚の入りの細長い缶や、奇麗な留め金のついた大きな缶入りは製造そのものができてないらしい。つまりは定番土産の「白い恋人」は、今北海道土産としてはとてもレアな状態ってことだ。

 偽装についてのお詫び会見があると、どこの企業でもだいたい「消費者の皆様のご要望にお応えするために・・・」とかいうセリフが出てくるけど、こういう現状を見ると、確かにそうだな〜って思うところがある。

 
 考えてみると「白い恋人」ってできたお菓子だ。まず、美味しい。でもって個包装されてて軽い。12枚入りで、600円程度。1000円出せば、18枚入っているから、たいていの職場ならこれでOKだ。これが嫌いっていう人はほとんどいないし、「北海道へ行ってきましたクッキー」や「スキーで滑りましたまんじゅう」や「洞爺湖サミットせんべい」よりずっと明確に「あの人北海道に行ってきたのね」って認知してもらえる。でもって、細長い缶入りとかだと、最後の空き缶に至るまで「文房具入れにぴったし」と、引く手あまたになる。

 
 ちなみに私は北海道へ行ったのは初めてだ。初めての北海道で思ったのは、「観光は確かに北海道の重要な産業だな。」ってことだ。四国に人間から見れば、雪そのものを見るだけで嬉しくなるし、それがパウダースノー!よくよく目をこらせば、中には本当に雪印のような六角形をした雪の結晶が見える。これって、もう感動もの。どこまでもなだらかに続く丘陵地帯に落葉樹が並んでいて、タンチョウヅルだのエトピリカだの固有種が多くて・・・・っていうのはまあ完全に個人の趣味だけど、独特の北方系の自然は魅力だ。ついでに、ジンギスカンも古い煉瓦造りの建物も大通公園のライトアップも奇麗だった。

 南から来た人間は、ついついそういうモノを見ていると嬉しくなって、ついでにおみやげも六花亭のイチゴチョコも欲しいし、マルセイのバターサンドも美味しいし、ロイズの生チョコに・・・。ってやってたら一人一人の買い物の額も、それなりになる。北海道において、観光は重要な産業だろう。

 だから「白い恋人」は、相当売れていたはずだし、だからこそ比較的低価格が可能だったのだろうし、故に更に売れるという良い循環ができていたのだろう。ただ、それでも観光客の数って月による増減があるだろうし、そうなると特にハイシーズンをにらんで「作り置き」ってのも、何となく気分は判らないでもない。

 

 で、こうなってしまった以上はもう「作り置き」とか「賞味期限の延長」とかはできない。となれば、「白い恋人」はこれまでのように手軽に低価格で入手できなくなるのではないだろうか。そもそも小麦だのチョコだの包装費が値上がりしていて、いろんなものが価格改定している。「作り置き」できないということは、どれだけ売れても1日あたりの売り上げは減少せざるを得ないだろうし、そうすると経営が圧迫される。ついでに、最も売れる時期に対応するべく、施設の拡充とかするのだったらそれはそれでお金がいるし、繁忙期に合わせた人数を雇用するのは難しいだろうから、契約やパートを増やさざるを得ない。となれば、値上げは必然だろうなあ。

 

 でも、「低価格で安定供給」って、考えてみるとそもそも実に我が侭な要望だ。最近って、それが当たり前だと思っているけど、そもそもそういう発想を消費者が持ってしまうのって問題を引き起こす要因になっているのではないだろうか。

 
 昔は、買い物ができる場所も時間も限られていた。小学校なんぞで、「用意しなさい」と先生に言われたモノを用意していないのを夜寝る前に思い出して怒られる、なんて事もよくあった。今だったらそれからコンビニに走ればいいだけなんだけど、当時はそんなものあるわけ無い。で、小学校近くにあるお店に電話をかけて、「すみませんけど・・・・」って早い時間に開けてもらって、学校に行く前に「ごめんなさい」と言いながら買いに行くのだ。

 そういう事を経験すると、嫌でも段取りというものが身についてくる。だけど、今はどんな小さな町でも1件くらいはコンビニがある。私の住む町に最初のコンビニができたとき、近くの高校生が「すごいわ。あの店は夜遅く行っても、開いとんで。」って感動していたのを覚えている。だけど、今の高校生にとっては「コンビニは当たり前」なのだ。

 だけど、24時間営業って随分無理をしている所もあるだろう。店長とかは特に生活が破壊されるなんて事をきいたこともある。細かく商品の補充をするから、そのエネルギーもバカにならないだろう。低価格でヘルシーで時間をおいても美味しい弁当って、これまた無理してるだろうなあ。

 100円ショップだってそうだ。楽しいけど、便利だけど、中国やマレーシアや、そういった国々で買いたたいてきているのだろう。文房具なんて、ついついそういった所で買ってしまうけど、それって地元の文房具店にとってはすごい売り上げ減だろう。それって、それってそのままで良いのだろうか。場合によっては、地元の小さな商店が無くなる事は良いのか。そういう流通ルートを消失させることは良いのか。それより何より、それって地元の活力の低下じゃね?


 モノをつくるには、それなりの原材料に加え、手間や工夫が詰まっている。様々な人の手を経てモノは私たちの元に運ばれてきている。そうして、人々は生活していたりするのだ。そういう事を考えると、とにかく安いこと、とにかく便利な事を追求するのは、そろそろやめにした方が良いのではないかと思うことがある。アスクルに注文しても良いけど、地元の文具店で買うのも良いのではないか。ちょっとくらい高くても、ダイソーではなくて、コクヨを買ってもいいんじゃないか?閉まっていれば、「しょうがない」でも良いんじゃないか?そういう選択が、巡り巡って結局私達の社会全体の生活を良くするような気がするのだ。

「偽装」した企業を責め立てる前に、それを自分たちが強いた可能性も自覚しないといけないんじゃないか?

 
 と、やっと千歳空港で手に入れた「白い恋人」を食べながら考えた。


 


 でもなあ、「赤福」大好きなんだよな〜。伊勢に行って「赤福」が無かったら・・・・。



悲しい・・・・・。