hyla’s blog

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ちょっと真面目に


 今日はこれ。

学校のモンスター (中公新書ラクレ)

学校のモンスター (中公新書ラクレ)


 元高校教師にして「プロ教師の会会長」だし、現場をよく知る人間として学校に出現したモンスター達について、どのように分析しその解決策を提言するか書いてるんじゃないか、なんて先入観で読んだらダメな本である。

 
 読みやすいようでいて、ぼーっと読んでいると頭が混乱すること必須。だってなあ、テーマである若者の変容を、「近代社会の「私」ではなく近代化以前の「この私」であり続けようとするため」とか、「「ヴァーチャルな自由な主体」となっているから」とか、「世代を超えた共通感覚の欠如とは「間主体的な構造」の欠如である。」って感じですから。カギ括弧や括弧でくくられた特別な意味を含ませた言葉を多用しすぎ。おまけにその引用が哲学や社会学の割と堅い本から来てるから、結構幅広い分野のそうした特殊な用語の用い方に慣れてないと読みづらい。あと、章立ての仕方が散漫過ぎて、主張が判らなくなる。
 何より「学校のモンスター」ってタイトルから学校・教育の問題について本と思いこまされてしまうが、帯に「「面白い」現代学校物語として読めるアプローチが本書の魅力です」ってあるように、学校・教育の本ではない。むしろ若者論か、現代社会論だろう。だから学校・教育の本として読み解こうとすると、なおさら主張が判らなくなるのかな?

 
 で、著者が様々な分野の言葉を借りて主張しようとすることをまとめると、こんな感じだろうか。

 これまでは、家庭・地域・学校によって近代社会の「私」として「公を内在する私」に人為的に変容させる事によって現在の近代社会の担い手を作り上げてきた。しかし、経済社会が家庭に入り込み、学校教育以前に消費者として「そのままの私」でもいい存在として若者は形成され、家庭も消費者としての個人の集まりに変容し、地域社会は消失し、最後に残る学校は「公」と「そのままの私」である「この私」が先鋭的に衝突する場となった。それが学校のモンスターである。

でもって、著者は言うわけである。
 

ここへ来て思うのは、やはり教育は基本として社会を構築しようとする近代前期的な子供の育成を目指すべきではないか、と言うことです。それを基軸に時代や社会の変化をヴァリエーションとして加えて行くべきでしょう。

 ってなあ・・・・。


 だって、最初の章で著者自らが、既に学校現場から教師が逃げ出し始めている事を認識しているのだよ。教育現場を支えるまさしくその当事者が今逃げ出し始め、教育現場は崩壊し始めているのだ。これって危機的じゃないか。

 
 教育している児童や生徒との一体感もなく、社会の担い手としての若者を育成しているのだという矜持(ないしは思いこみ・勘違い)も持てず、バッシングだけされる事に疲れ果て、生活が苦しくなることを承知で定年前に続々と辞めて行く教師達。

 
 著者の言うように若者の変容が社会が必然的に生み出したものなら、今後も学校の困難さが和らぐはずもない。最近は若干減ってきているが、一時は教師・学校バッシングもすごかった。教育基本法の変更に向けて意図的に煽ったのではないかとも思えるのだけど、結果として教師の社会的地位の低下は著しい。教育とは素晴らしい。教師とはやりがいのある職業だ、という認識はどっかへ行ってしまった。安倍政権の残した2009年度より始まるらしい教員免許の更新制度によっても、じわじわと、しかし確実に若者の教員希望者は減って行くだろうし、増え続けるモンスターペアレンツの報道は「そんなめんどくさい仕事なんてやってられない」という印象を若者に与えるだろう。

 
 で、そういう現状で、だれが教育を担ってくれるのだろう?

 

 今はまだある程度力のある教師達が頑張って支えているところも、次々にベテランが去り、若手が入ってもその育成まで手が回らない。とすれば、いずれ限界に達した時、大きく崩壊するだろうなあ。1.2本ねじが抜けても飛行機は飛ぶだろうけど、抜け続ければ必ずいずれは墜落するもんだ。

 

 問題があるとき、それを解決するにはその原因を正しく分析することが重要だ。それは確かだ。けれど、この分析を元にどういう解決策が提言できるのだろう。
 
 もちろん問題の原因が長年に渡る矛盾の蓄積であるならば、解決策もそう簡単には見つかるはずもない。けれど、今学校現場で働く教師が求めているのは、解決策として納得できるビジョンではないのだろうか。現状が困難であっても、それでもより良い未来に向けて努力しているのだ、と思いこむことができれば、まだ働き続けることができる。それが幻影だとしても、それが洗脳だとしても。

 けれど、解決策として提言されるのが、どう考えてみても、誰に聞いてみても、状況をより一層悪くするとしか思えない免許更新制だったりすると、崩壊はより一層加速するよりない。

 

 自分が苦労しながら今やっていることは、何の意味もない。


 「きちんとした服装態度ができなければ、社会に出たときに損をするのだからいやがられても「シャツの裾を出すな」、とか「靴のかかとは踏むな」と言い続けよう。」とか・・・。


苦労しながらそんな事を言ってもしょうがない。本人が困れば良いだけのことだ。未来が悪くなっても、自分は生きていないから関係ない。と現場を支える教師が思い始めたらもう終わりだ。

 

 
 解決の糸口。明るさのあるビジョン。

 

 教育に、現代社会に希望はあるんだろうか・・・。