hyla’s blog

はてなふっかーつ!

久しぶりに本


 なんちゅーか、最近ブログを放置しっぱなしであります。書こうと思えば、ネタはあるのよ。でも、何だか帰宅するとあっという間に寝る時間なんだな〜。書く気になりまへんがな。しかし、多分きっとこれではいけない。その日の出来事を記憶にとどめるためにも、ちっとは書かねば・・・。

 と言うことで、11月は、「ブログ強化月間」にしてみよう。



 と宣言したなら書けるかな?


 と言うことで、まずは久々の更新。

 ネタはこれです!
  

そばかすのフィギュア (ハヤカワ文庫 JA ス 1-4)

そばかすのフィギュア (ハヤカワ文庫 JA ス 1-4)



  久々の菅浩江なので買ってみたわけ。中には如何にも著者らしい作品が並んでいて、特に表題作は高く評価されて英訳までされているらしいけれど、個人的にはどっちかというと「雨の檻」や「お夏 清十郎」とかの方が好み。
 
 「雨の檻」の方は、よくあるロボットものなんだけど、登場人物達の心情がやっぱり非常に上手い。惑星移民を試みて、けれど失敗するという設定で、最後の生き残りが老女となりはてたけれど本人的には少女であると言う設定は新井素子の「チグリスとユーフラテス」と良く似ている。けれど、新井素子は長い長い物語で登場人物達の心情を語るのに対して、菅浩江はある時間を切り出してその心情を丁寧にすくい上げる。ロボットの変調に混乱しつつもそのロボットに対して愛情を抱き、けれど外の世界への思いを募らせる主人公。そのロボットとそれを支配するコンピュータシステム、中枢が崩壊するなか主人公が何も持たずにただ一人外の世界へ歩き出していくそのラストシーンは印象的で、最後の中枢の言葉「小鳥を飼う人間は小鳥よりも幸せだろうか」という言葉は、とてもとても重い。平易で明るく書かれた言葉と裏腹に、シノは幸せと言えるのか?中枢は幸せだったのか?そもそも、幸せって何なんだろうか。そして、自分ならば・・・・。と考え込ませる。そういう言葉の使い方は、本当に上手いなあ。

 

 そして「お夏 清十郎」は、日本舞踊や日本の伝統芸能に通じた著者ならではの作品。五人姉妹の中の「賤の小田巻」も良かったけれど、これもまたいいなあ。伝統芸能は、同じ所作をひたすらなどる中で、その意味を深く深く考えさせていくようなところがある。その中で、自身が何を見いだすかは自由。堅苦しい決まり事と、そういう自由と。そして、踊りというものを通じておのが見いだしたものを表現する、出来る幸福。そういうものを感覚的に伝えるこうした作品を読むと、ちょっと踊りなんかにもトライしてみたくなる。

 
 そして、そういう如何にも今の菅浩江らしい作品の中では、高校在学時に発表したという「ブルーフライト」はやっぱり若さというか未熟さを感じる。高校生にありがちな妙に凝った表現で、その割に登場人物の心情の表現が今ほどは洗練されていない。物語もちょっと安易な感じがする。しかし、そうは言っても、高校生でこれを書いたというのはやっぱりすごいと思うけど。

 ちなみに、個人的に受けたのは次のフレーズ
 
 「”多数派はボク。少数派はボク。右へ行こうと、左へ行こうと、どちらにせよ、負けるのはボク。”誰の言葉だっただろう。」


 って、そんなの「ブルーカラー」のグレアムの独白に決まってるじゃん!と一人つっこみをいれちゃいました。(三原順はみだしっ子」の18でございます。)そういやSF系の人では、大和真也も作中(「フォックスさんにウインクを」だったっけ)の異星の生物にペンギン型生物を登場させて名前を「グレアム」と「エイダ」なんてつけてたくらいだし、みんな三原順にはどっぷりはまった口なんだろうなあ。

と言うことで、妙に親近感を感じながら読んだのでありました。


 秋の夜長だし、久々に三原順でも読もっかなあ〜。