歌に思う
何となくテレビをつけたら 中孝介が「家路」という詩を歌っていた。以前にやっぱりNHKでこの人の歌を一度聴いて印象に残っていたから、ついつい聞き込んでしまった。
ちなみにアルバムはこれ。
- アーティスト: 中孝介
- 出版社/メーカー: ERJ(SME)(M)
- 発売日: 2007/07/11
- メディア: CD
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (35件) を見る
声は優しい。ハンサムだし優しそうだし、こういう男性に「ここへ戻っておいで君の休まるところへ」なんて言われたらそりゃ嬉しかろうねえ、と思う。しかし、一方でしみじみと時代の移り変わりを感じつつ、何か複雑。
だって、以前なら未知の風に吹かれて故郷を離れ行くのは男性で、それを「都会の風に染まらないで帰って〜♪」なんて歌ってた訳だ。
ところが、80年代になると、男性が「待ってるよ」なんて歌う歌もあって、私がすぐ思いつくのは「さらばシベリア鉄道」(ふる〜)なんだけど、ちょっと大人になってからこの歌詞をつくづくと眺めればついつい「おめ、舐めてんのか?」と言いたくなる。
だって、「答えを出さない」「冷たい」と待ちくたびれた恋人が手紙を書いて去っていた訳で、その恋人の事を忘れられないのなら「伝えておくれ12月の旅人よ〜いついついつまでも待っていると・・」なんて言っとる場合ではなくて、手紙のスタンプ確認したらダメもとでまずそこへ行け、と思う。
だいたい別れの原因も「ぼくは照れて愛という言葉が言えず」ところにあったことは自分でも判っているなら、「君は近視眼差しを読み取れない」とか言い訳している場合ではなかろ。なのに、「待ってるから」というメッセージを、しかも伝わるかどうかもわからない「12月の旅人」に託して満足しているようでは発展性はないと思う。でもまあこの場合は失恋の歌なので、男女の齟齬というものはこういうものなのだ、と理解している。
で、この中孝介の「家路」では、そもそも「未知し風に吹かれて故郷を離れた」のは「君」で、その「君」の「明日が恙なく過ごせるように」と祈っている訳だ。いや、嬉しいと思うよ。こう言われりゃ。
しかし、「君」を思う本人は何をしてるんだろう。地元に残って就職してるんだろうか。こうイメージ的には、大学卒業役場あたりにつとめながら家の農業も手伝っている感じ?女性の側は、多分恐れを抱きつつも「未知」に向かってチャンレンジしたり、その過程で泣いたりもしてるわけで、そこでなあ「帰っておいで」っつうのは何なんだろう。必死で頑張っている女性へ、「休まる場所」へ帰ってきて休んで、で「頑張って来いよ〜」って送り出すような応援歌なんだろうか。それとも、もう夢をとかはほどほどにして帰っておいでってことなんだろうか?まあ、そこまで深く考えなくても良いのだろうけど、ついつい考え込んでしまった。
作詞は女性なので、これって女性が言われたい言葉なんだと思う。「休まる場所」である故郷で充電したら、その後はどうするんだろう。また出かけて行くのだろうか。それとも「休まる場所」にとどまるのだろうか・・・。
待っている人がいると思えれば、頑張れる場合もある。けど女性も、頑張らなきゃいけないと思って頑張って、けれど「いついついつまでも待っている」訳はないよなあ。するとこれってとてつもなく罪作りな歌だなと思う。
現実は甘くはない。ただ待つのが男の優しさなんぞではない。まずは声を掛ける。コミュニケートするとこからだろう、と思う。
え?もちろん自分のことは棚に上げてますけど、何か・・・。
実行は難しいのだな・・・・orz。