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チャリオンの魅力


 昨夜も、チャリオンの影 上 (創元推理文庫)を読みながらぼーっと考えていた。確かにこれはおもしろい。どこがおもしろいんだろう。どういうところが、ぐっとくるんだろう。気持ちいいのだろう。


 チャリオンは分類的にはファンタジーだけど、これを読んで連想するのは、「ベン・ハー」や「アイヴァンホー」と言った作品だ。つまりは、古典的な物語の名作達。考えてみれば、ビジョルドの作品は、SFであるヴォルコシガンシリーズにしても、結局はキャラクターの魅力と物語の展開のおもしろさが際だっている。こうしたおもしろさというのは、良くできた物語に共通の資質と言えるだろう。

 

 そしてチャリオンについて言うならば、これって結局「正義の味方が悪者を倒す」物語だ。そして、そのことがやはり読む者に快感を与えてることはマチガイないだろう。

 
 物語の展開は、ドラマティックだ。はらはら、わくわく。しかし、最終的には古典的な物語の王道をきちんと踏襲している。つまり、「必ず正義は勝つ!」というもの。
 「正義は勝つ」という物語は、極めてありふれたものだ。しかしだからこそ気持ちいいものなのだ。そしてそれは多分、現実世界というものが、実はそうなってはいないからなんだろう。願望を叶える物語だからだろう。
 
 
 「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉がある。
 ラジオでよく浜村純が「「天網恢々疎にして漏らさず」と申しますますが・・・」なんて口調で映画のストーリーを見てきたかのように語っていたから覚えてしまったのだけれど、しかしこれは本当ではない。
 「天網恢々疎にして漏らすことも多々ある。(漏らさないこともあるけど)」 というのが本当。現実は、そうそう甘くはない。勝てば官軍。儲かればok!だからこそ、多分「正義の鉄槌」が降りて悪人がやっつけられる物語は気持ちいいのだろう。わかりきってはいてもやっぱり「水戸黄門」や「遠山の金さん」を見る快感と同じ。だから、陳腐ではあっても、形を踏まえることは大切なことなのだ。しかし、それと同時に魅力ある作品にするためには「よくある物語」にしてしまわない何かがいる。ビジョルドの作品の場合、それはキャラクターの魅力によるところが大きい。


 本編の場合、主人公のカザリルは35才で、かなりへたれたおじさん。

 
 普通ファンタジーの男性主人公は、王子だったり、(本当は王子の)捨て子だったりはあるけど、最終的には無敵の力を持つヒーロー(若者or少年)である。
 この主人公カザリルも、やってしまうことは超人的だ。更に教養があり、どんな仕事をさせても切れて、誰からも信頼暑く、剣の腕もなかなかのもの。他のファンタジー作品の主人公に比べれば年はとっているけど、多分見かけも決して悪くない。客観的にみれば、すごい格好いいじゃありませんか。文句なく安心できる大人の、格好いい男である。これなら相当年代的に幅広い女性から支持される。


 けど、読んでいると、へたれたおじさんのイメージが濃厚で、だから嫌みがない。更に魔法の力とか奇跡といったものではなく、洞察力で宮廷という危険な場を生き抜いて行く。ここら辺で、男性読者にも受けるのではないだろうか。そして、あくまで誠実で「無理〜」と思いながらも「祈りとは一歩一歩、歩むこと。」と頑張るあたりで、何となくじーんときて、灰色のスーツを着て家族の為に必死に仕事を頑張るくたびれたお父さん、みたいなイメージで妙にいいのだな。これなら、女性にも男性にも受ける。

 
 更に、ここに陽気で明るく格好いい友人パリを配することで、主人公に魅力が際だつ訳だ。(ヴォルコシガンシリーズの、複雑怪奇な主人公マイルズに対するイワンの役回りだ。)


 
 また、この主人公が仕える国姫イセーレのキャラもよい。おてんばできかん気、というなら普通だけれど、更に抜群の判断力を持っている。「押しつけられた結婚が嫌」と言うのはありふれた展開だけど、嫌である理由として「愛がない」とかではなく「なぜ、国姫としての自分を無駄に使うのか。自分の夫は、国に利益をもたらす人間で無くてはならない。」というあたりが、いい。「美しくはあってもお馬鹿なお姫様」では女性の共感は得られない。また「美しく、しかし虐げられた御姫様」では、新鮮さや面白みがない。「絶世の美人ではないけれど実行力・判断力は抜群なお姫様」だからこそ、今時にもマッチするし、働く女達も素直に応援できる。


 また、主人公の恋のお相手が、国姫イセーレその人ではなく、侍女であるというのもうまいところ。国姫イセーレその人自身を、主人公の恋の相手にしないことで、ハッピーエンドにすることが可能になる。また、男性読者は主人公の立場で読むだろうから、そうすると、若くて奇麗な女の子にモテるおじさんっていうのは、気持ちよいものではないだろうか。



と、いろいろ書いてきたけれど、多分こうした事を細かく計算して書けば、どうしても作為的で不自然なところが生まれてしまうのではないだろうか。そうではなく、著者自身が気持ちの良さを感じながら、作品を書いているように思う。だからこそ、夢を見るように気持ちよく、物語にのめり込めるのだ。
ビジョルドは、極めて優れたストーリーテラーだと思う。