hyla’s blog

はてなふっかーつ!

本を読む

 仕事で西宮まで往復した。丸一日がかりで、往復のバスの中ではたっぷり時間もあって、のんびりと本を読む。バッグに放り込んで行ったのは、遠藤秀紀「パンダの死体はよみがえる」。
 
 著者はこの2月まで国立科学博物館のほ乳類を担当していた解剖学者。国立科学博物館というと、一応日本では最も由緒正しい博物館だし、標本の所蔵数も多い。けど、それでも世界的にみればお粗末なのは確かだろう。だいたい、研究者が博物館の標本の管理から受け付けまでみんなやってたりするんだもの。国立科学博物館には世界に一個しかないホロタイプの標本だってごろごろある。それを管理する専門の人もいなきゃ、標本を専門につくる人もいないらしい。
 
 「日本って国は!」と怒り狂いながら、「でもやれるだけやるんだあ!」と頑張っている著者の熱い思いが伝わってくる好著。オタク魂炸裂!って感じ。ちなみにここでいうオタク魂というのは、1つの分野について、人からどう思われようともひたすらにのめり込み、1つの世界を作り上げる強い意志と創造力と実行力を持った人のこと。ほめ言葉です。まあ著者は、1965年生まれで東宝特撮映画や60年代海外SFにのめり込んだというから、それを聞けばだいたい雰囲気は分かるってもんです。


 内容は、遺体を未来に引き継ぐというのはどれだけ大変か、けれど、どれだけ貴重なことか、というお話。遺体科学っていう言葉は良い感じ。それと、「遺体は目的をもってあつめちゃあいけない。」って主張は面白い。目的を持たないからこそ、あらゆる可能性が残される。だから何でも残さなきゃいけない!ってのが著者の主張。これを読むと遺体(動物の死体)ってのは科学的可能性が山ほど詰まった「未来への遺産」だな、と思います。(だけど、日本人は未来へ遺産を残す気がないんだよな。借金は山ほど残しつつあるのに。)


 文章は読みやすい。遺体を標本にしていく現場の記述などは結構文学してます。

 「刃先の青空に絹雲が映ったのを見届けて、私は目の焦点を刃の先にある巨体にうつす。」(像の解体にとりかかるシーンで)ですからね。


 ちなみに私は、「フラフラ浮いていることで柔軟に対応できるレッサーパンダの種子骨」の話が一番「へえ」でした。


 それにしても最近は「僕らが死体をひろうわけ」なんかの本の影響もあってか、死体を拾う人や解剖する人が少しずつ増えているように思う。何を隠そう私も死体を拾うのは上手い。こういう本を読んで、同好の士が少しでも増えることを願ってしまう。だけど、死体というか標本を受け取る博物館が香川には未だに1つもないっちゃどういうことや!香川は科学教育を放棄しとるとしか思えない。


 
 ということで、今集めている鳥の死体の送り先はやっぱり国立科学博物館かな?(最近剥製作成のための予算がついて、現在冷凍庫は空なので喜んで受け取ってくれるという。)


 
 どんどん集めて、どんどん送ろう!


パンダの死体はよみがえる (ちくま新書)

パンダの死体はよみがえる (ちくま新書)