茶会に参る
午後から、山ほどの用件のために高松へ行っていた。普段買い物に出ないし、ちょこちょこ行くにはめんどくさい。そこで、いったん買い物にでるとなったら、あれもこれもしたい。
その用件の1つには、「高松天満屋で開かれている華展を見てお茶を飲む」というのもあった。券を買って(買わされて)いたのだ。で、見に行った。
華展は後期が始まっていたが、さすがに見事な作品が多い。で、上手いねえ、と感心してから隣の協賛茶会に行った。
茶会も香川県の各流派の持ち回りで、今日は石州流の日である。まあ石州だろうが表だろうが裏だろうが、お茶会はお茶会。それもデパート内の華展の添えのお茶席なのでフランクな茶席である。お点前をしてくれるが、立礼石(要するに腰掛けに座って飲む席)なので、いつでも入れてくれる。(普通はお茶席が始まったら入れてくれないので、次の席が始まるまで待たなくちゃいけない。)
中に入って座ってお茶とお菓子を待った。お菓子は串に刺した団子で、銘々皿の上に懐紙にのせた状態でやってきた。懐紙をもたずにくるお客も多いから、その当たりの配慮だろう。そして、お茶がくる。
お茶を飲みながらぼーっと見ていると、いろんな事が目につく。
例えば隣に座った20代前半とおぼしき女性二人は全くお茶をやっていないのだろう。いきなり、先礼(さきれい)もなくお茶碗を回さずにそのままお茶を飲み、途中もずーっと話をしていた。
お菓子を食べた後の、お菓子の滓のついた懐紙をそのままに銘々皿を重ねて返した人もいる。
まあ、フランクな席だしね、知らない人も多いわけだ。
でも、最近の私はイジワルだ。ついつい、そういうことが気になる。お茶を習いに行けば、私たちは先生に事細かに言われる。
「はい、そこで先礼。ちょっと遅い。」
「お茶碗を拝見するときは、もう少しゆっくりと丁寧に。」
「蓋置きはもう少し前。」
やー、実に細かい。時には苛ついてしまうことさえある。で、そういうむかつきを重ねつつ身につけた(というか身に付いちゃった)「これは、こうするべきだろう」なんてことを、あらかたの人は知らない。で、別にそれで困る事なんて、本当にないのだよね。で、ついつい我慢して努力して身につけた事ってなんだったのさ!と怒り半分、「知らない人はやーねえ。」と内心考えるイジワル人間に成り下がっている。
あーやだやだ、と自己嫌悪に陥る一方で、ちょっと不思議に思う。いくらフランクな席でも、お茶席に入って、ただ食べて飲んで(作法なんて全く無視しまくり)で、何も感じないのであろうか。こう、「お抹茶って、何か回して飲むとかあったわよね。どっちに回すの?どのくらいまわすの?これでいいの?ああ、わかんないわ。恥ずかしいわ。」なんてのはナシ?ナシなんだろなあ。そうだろうなあ。
県内でも、お茶を習う人は着実に減少している。表千家では「同門会」という組織があるのだけど、それに所属する人の人数は、最盛期の約半分にまで減ったのだそうだ。「ぜひ会員を増やして下さい。」と会があると言われるけれど、絶対に増えないだろう。つぶれるまではいかないだろうけど、増えることはないと思う。
けれど、本当はお茶というのは用は楽しんで飲めばいいわけで、作法がどうとかこうとか言って人をけなすのは卑しいことだ。だから、これは私の懺悔です。
でも言いたい。
「若者よ。茶席には作法というものがあることを一応は知っておいてください。!」
ああ、未熟者・・・・。