hyla’s blog

はてなふっかーつ!

お地蔵さま

おじぞうさま


 近所の川の側には小さなお堂があって、子供の頃からお地蔵さまが2体まつられていた。台風23号では、そのお堂のある辺りの堤防が切れかけたのだけど、ちょうどそのお地蔵様の部分だけが流されずに残った。そうなると、ありがちだけど、その川の堤防が全面的に切れなかったのはお地蔵様の御利益である、ということになった。
 
 まあ、客観的にみれば、その部分はお地蔵様のお堂を造るためにコンクリートの土台がしっかりとつくられていたし、お堂の横に立つアキニレが根を下ろしていたこともあるだろう。 

 が、とにかくお地蔵様の御利益なのだ。

 

 で、気がつくとこのところ、だんだんお地蔵さまは立派になっている。お地蔵さまの前に、腰掛けを置いた人がいる。お堂の壁も取り替えられた。ペンキも塗られた。それから何というのだろう、お地蔵様の上にかけられた幕も、立派な金襴のものになった。気がつけば、地面に白い小石まで敷き詰めてあった。


 ちなみに、お茶の先生は昔からこの辺りに住む人なので、お地蔵さまがそこにできた当時の状況についてもよくご存じだ。
 「あのお地蔵さんは、○○さんちの死んだおばあさんが、この辺にお地蔵さんがないけんゆうて、どこぞでもろてきたんや。横の小さいぶんは、隣の○○さんが川の藪を整理しよった時に出てきたんで。置き場もないし、捨てるわけにもいかんし、ゆうことでいっしょにして祭ったんや。藪からお地蔵さんを持って出て来よったんを、私も見よったけん、よう知っとる。」という。
 
 つまりは、大した由緒のものではないというか、結構いい加減なのである。

 
 けれど、以前からこのお地蔵様を拝む人は結構いて、朝などに通りかかると、よく線香の匂いがしていた。花が絶えることもなかった。お堂の横に生えたアキニレは、大量の枯れ葉を飛ばすので、すぐ近くの人は「樋が詰まってかなわん。」とこぼしているが、たぶん切られることはこの先もないだろう。

 
 ここは、昭和30年代から住宅地になったところなので、昔からの村のように辻ごとにお地蔵様があるということはない。けれど、こうなって見ると「お地蔵様がないとやっぱりいかん。」という人がいて、お地蔵さまができて、御利益があったことになって、こうやって信仰というものはできあがっていくのだな、と実感。
 

 ちなみに、そのお堂を直す作業をやってくれた人は、近所のキリスト教を信じるおじさんだったりする。

 
 日本人の宗教心の、ラフさが好きです。