hyla’s blog

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華竜の宮


 先日本屋でみつけて買ってきた。

華竜の宮(上) (ハヤカワ文庫JA)

華竜の宮(上) (ハヤカワ文庫JA)

華竜の宮(下) (ハヤカワ文庫JA)

華竜の宮(下) (ハヤカワ文庫JA)


 以前読んだ魚舟・獣舟 (光文社文庫)も割と良かったけど、ほんと一気読み。読むにつれイメージがどんどん湧き上がるし、それに物語のスケールが大きくて、でもこれでもかってくらいにひろげた大風呂敷をちゃんと見事に畳んでくれる。これなら、確かに日本SF大賞をとるはずだ。


 地殻変動によってほとんどの世界が水没した世界で、ヒトは自らも含めて様々な生物の遺伝子を改変し、何とか生き延びる。そして、ようやく安定し再び発展し始めようとしたその時、再びおこりはじめた地球の大規模な変動に如何にヒトは、いや生物はどのように立ち向かうのか、という話。


 これを読んでいると、これまでに読んできた様々な作品を思い出す。田中光二の「我が赴くは蒼き大地」や、星野伸之の「ブルーシティ」。そして、やっぱり小松左京かな。


 地殻変動とそれ立ち向かう人々の姿がテーマにあるので、主人公の青澄・N・セイジは、「日本沈没」の小野寺にダブる。けれど、青澄は外交官としてしたたかな交渉術で様々な難題に挑みつつ、その根本は平凡な日常を送る人々の為に尽くしたいという実に真っ当な信念を持っている。それってちょっと「司政官」?
 でも、こういう素晴らしいキャラクターって、描きようによっては理想をのみ追求する辟易するような青二才になってしまう。それを実は熱いけれど、冷静に考え行動する人物として描いているから、すんなり受け止められる。そして、その青澄に寄り添う人工知性体のアシスタントのマキは、何となく「鋼鉄都市」のR・ダニールのようで、これまた魅力的。
 
 そして、人類を含めた大半の生物がたった50年後には死滅するかもしれないと知っても、それでも最後の時まで互いに助け合えるよう、少しでもより良い方策を主人公達は模索する。この辺は、「復活の日」を思い出した。
 
 「復活の日」でも、人類が絶滅寸前となったときにも、MM-88菌の正体を伝えようとしたヒトがいた。誰も聞くものがいないかもしれないけれど、それでも最後まで「凍え死しかかった子供を必死に笑わせようとする、同じく凍死しかけた父親」のように、音楽を流し続けた放送局。そういうシーンはまるで本当にあった出来事かのように、鮮明にイメージされる。
 これを読んでいると、そういう物語を通じて、小松左京が私たちに伝えたメッセージと同質のものを感じた。



 この作品では、大規模な地殻変動の中で生き延びる為に、人を到底人と呼べないレベルに改変するといった事さえ厭わない。そこまでしても生きようとするその事と、ひたすらに人を含めた生きものを食らう「獣舟」の間にどれほどの違いがあるのか。そして、全てのものが生き残ることさえ難しくなった世の中では、ヒトはそもそもヒトの変種である「獣舟」をすら狩る。互いに殺し合う、そのことをさえ、否定はしない。
 けれど、一方でどうせ死ぬかも知れないけれど、それでも知性を持つ生物が生き残る日のために、過去の記憶を、そして未来への夢を宇宙へ送り出した人工知性体に託す。その夢見る力。
 
 全てが終わって、再び地球が落ち着きを取り戻し、太陽の光が差し始めたとき、そこにはどんな生きもの世界が広がっているのだろう。それがどのような世界であれ、あるいは全くの無生物になってしまったとしても、それでも宇宙へ送られた疑似人間の遺伝子から、ツキソメ達の新しい未来が広がっていく可能性はあるし、それが失敗してさえも「彼等は全力で生きた。」から「それで十分」なのだ。きっとその時、月には墓標のように、あるいはモノリスのように、地球に生きた生き物の記憶が、私達の記憶が残されるのだろう。


 だから、地球上の全ての生物の死滅、という最悪の終末を迎えたとしても、それでも生物として必死に生きればそれで良いし、必死に生きるとは今自分のなすべき事を一生懸命成すこと。
 なら、今の日本、今の世界がどれほど絶望的に見えても、私たちは自分の成すべき事を精一杯成せばそれでいいのだ。
 

 って、何とも直球のメッセージだね。だから、すごく絶望的な展開だけど、暗くならない。



 と言う事で、久々に面白い作品だった。


 後書きによると、同じシリーズで「深紅の碑文」というのが2013年に出るのだそうだ。
 楽しみだな〜。