「痴呆老人は何を見ているか」
図書館で見ていたら、この本があった。太い帯には「五木寛之氏 木田元氏が絶賛」とある。適当にぱらぱらめくった感じでは読みやすそうな文章だったので、借りてみた。
- 作者: 大井玄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/01/01
- メディア: 新書
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そして、読んでみて、確かに面白い。驚く程の幅広い知見を紹介し、非常に難解な概念が随所に出てくるのに、とても読みやすい。すっと自分の中に入ってくる言葉は、わかりやすく、そしてどこまでも優しい。
著者は医者として終末期医療に取り組んできた人物と言うことで、タイトルにも「痴呆老人」とあるけれど、何も認知症についてだけの内容ではない。むしろ、私達のものの考え方というものを深く追求している。年老いて、ボロボロと失われて行くニューロン。それに伴って、自分であると言うこと、その思考や記憶が失われて行くとき、それでも何とか彼らなりの「環境世界」の中で何とか「最小苦痛」で生きようと世界を構築する。著者の語るその様は、まるでSFでよくある仮想現実の世界をいきているようだ。けれど、「痴呆老人」でなくとも、私達もまた、自己の「仮想現実」の中で生きているのかもしれないと著者は指摘する。
そして、更に「痴呆老人」が自分と世界をつなぐ認知機能が失われることから不安になり、怒りを覚えるその「心」のありように、現代の「ひきこもり」との類似性を見る。引きこもりは、日本人が持っている「つながりの心性」が失われ、西欧流の「自立」を強いられる不安から「自立」より逃避したのだと語る。
日本人の心性は、この島国で2000年暮らし続ける中で獲得した形質だろう。現代社会の中で不安に惑い「ひきこもり」となる人が驚く程多いその原因を、彼らがとても日本人らしい日本人だからであると分析し、そうした日本人が生きていた江戸の暮らしを紹介して本は終わる。この後、どのような社会をつくるか、現代社会の中でどのようにつながっていくのか、それは私達が考えねばならないのだろう。
そして考える。私は、誰とつながっていくことができるだろう?
まさしく、現代社会の中で、自立をたたき込まれてきた私だけれど…。
この本は「痴呆老人」の見る世界というテーマだけど、そうした人々に向ける著者の視線は理性的であると同時にとても優しい。医者として「痴呆老人」に向き合った時の、自分の恐怖や無力感を素直に記し、それでもそうした人々にも真摯に向き合うしなやかな強さはどうだろう。
こうした文を読むと、自分も少し優しく、少し素直になって世界を見られる気がする。嫌な事はいくらでもあって、だからそういう物事に素直に反応していたら、とてもではないがやってられない。だから殊更に、皮肉っぽくクールに受け止める。けれど一瞬、そういう自分ではなく素の自分で世界と向き合いたいと思った。
ま、一瞬なんだけどね…。