hyla’s blog

はてなふっかーつ!

お茶〜な日


 土曜日はお茶の日。なんだけど、正直今日はひたすら寝たい。昨日も、帰ってほとんど無気力状態のまま、布団に潜り込み爆睡。起きたら、お茶に行く時間。ああ、生きたくない、じゃなくて行きたくない。でも、さすがに言い訳は思いつかず、のべーっと出かけたのでありました。


 先生は、もう絶好調。私達の来るのを待ちかまえておりまして、席入りの初っぱなからてんこ盛りの注意。
 
 「挨拶はもっと気持ちを込めて」
 「寒いだけでなく、大寒なんだからそういう時候の事も折り込みなさい。」
 「そもそも正客やのに、着物もきんとしよんやけん「軽装で失礼」くらい言いなさい。」


 こっちは腹をたてる気力さえなく、黙黙黙黙・・・・。






 で、何とか8時半スタートで12時半に終わったでありました。



 4時間っすよ。4時間。

 席入りから、炭手前、お濃い茶2回、後炭にお薄して退出までフルコース。よくやったと思うじゃないですか。


 つか、一人じゃできないよな〜。みんながいるから何とかできるもんなんだな〜、とも思います。


 もし一人なら、お茶を沸かすなんて、これは絶対やんない。炭だの釜だの道具は買おうと思いさえすれば(お金さえあれば)買えるんでありますが、よっぽど気力があっても、部屋の掃除から釜の準備から何から何までするのはすごく大変。けれど、先生がいてお稽古仲間がいたりすると、お互いに文句を言いながらもやるだけはやる。そういうのが稽古の良さでもあるのかな、と思います。他人がそこにいると、特にうるさ型がいることで、その時だけでも人が自堕落にならずにすむことは確かにあるわけです。

 
 でも、最近って、自分の家の中に他人が入ってくる機会が以前にくらべ随分と減ってしまってます。で、時々見るゴミ屋敷とか汚部屋なんていうものは、その産物なのかもしれない、と思います。一人暮らしに比べ、家族がいるとそれだけで家事というものをしなければならないという義務や責任感というものが産まれ、更にそこに他人が入ればそれは互いに窮屈ではあっても、お互いに折り目を正す働きがあったのかもしれません。通りすがりにいきなり縁側に腰を下ろしておしゃべりを始めてしまうような関係も大事なのかな〜。


 と、建設的に考える事もできます。たまには。



 でも正直、しんどいときにはしんどい。






 お茶で養えるものは・・・・・・、忍耐心。