hyla’s blog

はてなふっかーつ!

本を読む

 昨日高松へ出て、ついでにこれを買ってきた。

オドの魔法学校 (創元推理文庫)

オドの魔法学校 (創元推理文庫)

 

 久々の買い物だったからいろんな店を回り、さんざん疲れて、それでも更に宮脇書店のカルチャースペースまで出向いて確保してきた。

 

 だって、マキリップの新作よ!


 
 マキリップと言えば、妖女サイベルの呼び声 (ハヤカワ文庫 FT 1)風の竪琴弾き (ハヤカワ文庫 FT 34 イルスの堅琴 3)。あの、謎めいた独特の世界はたまりません。
なんだけど、「マキリップが好き〜!指輪物語なんぞよりずっと美しい!世界最高峰のFT作家の一人だわ〜!」と私は思っているのに、これがそういう事を言っても共感なんてしてくれる人にあうことはまるでなし。まあ確かに玄人好みな感もあったりして、爆発的に売れるとは思えなかったりする訳で、日本での訳書もまあほんとに出ない。これまではずっとハヤカワFTのシリーズで出ていたのだけど、本作は東京創元社。前作の影のオンブリア (ハヤカワFT)が売れなくて、遂にハヤカワが手を引いたのか?とかあらぬ想像をしたりして。
 
 おまけに、10日発売の本を10日に買うわけだから田舎の常として小さい本屋じゃダメ。ここなら入っているはずと思ってわざわざカルチャースペースに行った。のに、書店では一瞬見つけられず。平積みしてないのね。発売当日だよ〜。それがフツーに書棚に入ってる〜。しかもたった2冊。何となく力入れてません感が濃厚。あまり聞き慣れない原島文世という訳者に怯えつつ、絶対「FTが好きです〜。愛読書はハリーポッターかな。」なんてタイプへの受け狙いか〜?と思える「オドの魔法学校」というタイトルにあんまり期待せずに読み始め・・・・・。


 これは、いい!

 

 これぞ、マキリップ。いやあほんと、マキリップだよ〜(←わかりにくいけどほめ言葉です。)



 生き生きとしたキャラクターや先の読めない物語の展開も魅力だけど、何より本作のテーマである魔法世界が恐ろしくリアル。例えば自分のしたことに怯えて、野生動物のようにその場を逃げ出したブレンダンが姿換えの魔法を使いながら北へ逃げていくあたりなんて、もう絶品。

すかさずうずくまり、必要な形をもとめてあたりを見まわす。字面すれすれに動くことができ、疲れ知らずに迅速に、目立たずに動くことのできるもの、小枝の折れる音がしただけでもさっと隠れることのできるすべをしっているもの。目で見るより先に、風が匂いをもたらした。近くの灌木地帯で狩りをしている銀狐だ。時を超越した一瞬のうちにじっくりと観察し、その姿を自分に流れ込ませる。


 呪文を唱えたり、杖を振り回したりといった良くある定番の魔法シーンにはまず見られないこの繊細なリアル。こうした濃厚なリアルに誘われるように、私たちも読む本を閉じたときには、風に耳を澄ませたくなる。植物の石の声を聞いてみたくなる。

 


そしてまた、この作品は昨今の超大作ばやりのFTとは一線を画するように、実にコンパクトにまとまっているけれど、訴えかけてくるものは恐ろしく普遍的で重い。

 タイトルともなっているオドによって設立され、しかしいつの間にか王宮の一部として王の監督下に置かれてしまった魔法の学校のその設立の目的について、優等生でもあっただろうヴァローレンはこう語る。

目的は明らかです。未熟で手に負えない力を王の法に従わせ、混乱状態に秩序を与えるためです。

 けれど、オドは、著者は語る。

 魔法とはそういうものではない。言葉によって、法によって、いや何者にも制約を受けるものではない。そうした全てのものから自由であり、魔法を学ぶにはそういうがちがちに束縛された考え方ではなく、その存在にただ真摯に向き合い、受け入れていくしかないのだ、と。

 それは、ガチガチのヴァローレンと結婚させられようとしているきかん気の姫君、スーリズ姫のセリフに象徴されている。

わたくしはヴァローレンのために考え方をかえたりしないわ。あなたのためだって、お父様のためだって、この国のだれのためだって同じよ。追放するか、このままで受け入れる方法を見つけることね。たとえボタン一つ分だって、自分自身の魔法を手放したりするもんですか。

 無論ヒトは自然体で生きられるわけではない。社会性動物であり、集団生活を行うのが基本であるならば、否応なくその中に適応せざるを得ない。けれど、自分が自分であること。その本質であるところのものが、一見もっともらしい法や、慣習や思いこみから否定されるとき、ヒトはどうすればいいのか。自分らしさを殺しても、社会に適応するべきなのか、それとも自分であることを捨てずに生きていくべきなのか。
 自分らしさが、社会と特段摩擦をおこすことなく成立するのなら良いけれど、どうやっても上手く適応できないヒトもいる。自分らしさを捨てられるのなら、苦労はない。けれど、嫌でも捨てられない、嫌でもそういう自分であることを辞められない。あるいはそれを捨てることは、自分自身を捨てるに等しいのなら・・・。

 そんなとき、人はどうするだろう。私はどうするべきだろう。


 ファンタジーやSFや漫画や・・・。とにかく本が大好きで、人見知りで好き嫌いが激しいけど、人を除くあらゆる生き物が異常に好きで、山へ行くのも海へ行くのも好きで、お茶やお花や着物も好きで、そういう好きなものに費やすエネルギーは異常かも。
 それを全て捨ててしまえば・・・。ごく普通に大学を出て、ごく普通に勤めてますってやっていくのは・・・・。

 無理だな・・・・・orz。
 
 ええそう、それができるなら苦労はありませんがな。こんな、苦労はしてないって。そんな事は無理ってな事は判る程度に大人だよ〜。


 マキリップは語る。自由でありたい。そして、自由で無ければならない。物語る力は、制約されるべきではない。言葉は力であり、言葉は武器となるけれど、まだ物語る力には未知のものがいくらでもある。生き物であれ、何であれ、黙って目の前にあるものと向き合えば、そこからいくらでも学ぶことはできるのだ、と。


 そして、考えてみる。
 
 常にさらされている「〜ねばならない。」という評価地獄から離れて、そういう評価軸では評価できないもっと大切な何かを、今より少しだけ自由に、少なくとも自分自身の思いこみからは自由になって探してみようか、と。



 
 つーことで、小品ではありますが、深く読むことのできる作品。「魔法学校」というモドキなタイトルに騙されてはなりません。渋いFTファンな方はオススメ。

 そして、東京創元社さん、ありがとう。ついでに自身も相当マキリップファンらしい翻訳者さんありがとう。でもって、ついでにこの際未訳の作品も是非出して下さいね。