hyla’s blog

はてなふっかーつ!

本を読む

 本屋に入ったものの、何となく手ぶらでは出て行きづらくて買ってみた。なんか、最近書く気力が低下しているし〜、とか思っちゃって。なんだけど、どっちかというと失敗したな〜これ。


 

発信力 頭のいい人のサバイバル術 (文春新書)

発信力 頭のいい人のサバイバル術 (文春新書)

 
 著者は、小論文(特に受験小論文)の指導にかけては第一人者なんだとか。樋口式とかいう型を重視した小論文メソッドで有名な、予備校教師でもあるらしい。そういう訳で、確かに本の後半の「発信社会を生き抜くための25の心構えとテクニック」なんかは、それなりに良い指摘もあると思う。そのあたりは、著者の100冊以上という本や予備校での受業を繰り返す事で練られてきたのだろうと思う。ただし、それ以外の点についてはどうだろう。
 
 
 この本では著者は何をうったえたかったのか。この本の狙いはなにか。この本ならではのオリジナリティーは何か。タイトルからすると、それって「発信の重要性」ということなんだろう。
 
 
 で、実際この本の前半では、「発信の重要性」についてかたられている。現代社会では如何に発信することが重要か、なのに如何にそれができていないか、そして、それは何故か、といったところだ。
 文章自体は読みやすい。第1章は「これからは発信の時代である」として、発信の重要性を述べ、第2章は「受信社会・日本」として、なぜ日本人は発信ができないのかについて著者の分析を述べるという構成だ。けど、詳細に見てみると、内容があるようなないような・・・・。

 
 1章では「これからは発信の時代」というタイトルに反して、実際の文章では、これからは発信の時代であると言えるのはなぜなのか、どのような社会変化によって、そのような力が重視されるに至ったのか、という肝心の分析はない。「発信力がないと不利」と言うことちょっと述べて、後は現代人の発信力が如何にダメダメかと言うことに終始している。
 
 第2章の日本人の発信下手な理由についての分析も、なんだかひどく甘い。特に第2章冒頭の「日本の集団主義の原因」という項目なんて、よく判らなかった。
 文中で著者は「日本社会の特質に集団主義がある。個人よりも集団の和を重視する集団主義自体は必ずしも悪いことではない。」ってな感じの事を述べた後に太文字で強調してこう書いている。

私は日本社会の特質の背景に受信社会としての日本があるように思えてならない。集団主義の特質、それは受信社会の特質でもある

 
で、受信社会になった理由として、日本は島国で自由に文化交流することが難しく、権力者が高度な分化を受信し、それを国民に広める形をとったから受信社会になったのだ、と述べている。最後の締めくくりには、「日本は受信しかしない社会だから、集団主義になったのだ」と言っているのだけど、ずいぶんと乱暴かつ思いこみの強い文章だなと思う。

 だいたい、「文化は常に権力者を通して海外から取り入れられ、民衆へ伝えられた」って、本当?どのような事をさしてそう言えるのだろう。例えば専門家による発言として、何らかの文献に述べられているのだろうか?「日本社会は集団主義」って決めつけ方もどうかと思うが、「受信社会だから集団主義になった」というのは因果関係が逆じゃなかろうか。「集団主義だから受信社会になった」方が自然だろう。だから受信社会であることの理由を説明するのなら、なぜ日本では集団主義的な価値観が重視されるようになったのかを語らなければならない。民族や風習や歴史や自然環境といった日本の成り立ちの様々な側面からそれを語らずに、いきなり「日本社会は集団主義」と言われても、全く説得力を持たない。それでは、居酒屋なんかの酒に酔ったおっちゃんの与太話と変わらないレベルになってしまう。もちろん、そうした事を丁寧に述べるにはページが足りないだろうし、もとより著者はそれを専門にするわけでもない。しかし、ならばどういった事を根拠にそれを述べているのか、その文献を示すのが常識ではないのか。理系の論文でなくても、社会学系でも数値データや「○○の述べるように」という文章は当たり前であると思う。

 
 更に、文献・根拠が示されていないことから、そういう文献を読んでいないのではないかと邪推されるし、実際思いこみから見当違いな事を述べているとしか思えない部分もある。

 例えば「オタク社会・日本」とタイトル付けされた項目では太文字でこう述べている。
 

オタクというのは、基本的に受信することで満足してしまう存在だ。情報がそこに流され、そこで止まってしまう。情報はお金と同じように回り回っていくべきなのに、そこで止まって、ただ味わうだけに終わってしまう。



 って・・・・・。
 

 いや、著者はオタクが嫌いなのはよくわかった。けどさ、これって「オタクとは何か」というその認識から間違ってないか?「オタク」について非難するのはいいけど、その言葉の意味するところを正確にして欲しい。「オタクの事はオタクに聞け」ではないけれど、あまりにも有名なオタキングオタク学入門あたりを読めば、オタクとは何かなんて書いてある。
 手元にないのでうろ覚えだけど、オタキングによれば
 「オタクとはただ情報を楽しむだけではなく、様々なジャンルを幅広く把握した上で、匠の目でその良さ見極め、独自の解釈によりその世界を再構築した上でその魅力を語る者」
 って感じの定義がされてたと思うんだけどね。つまりはオリジナリティーと、それを発信する力のある者こそオタクなんだよね。まあ、オタキングの定義に異議があるなら、それはそれでOKだ。それを批判し、自分の意見を述べれば良い。けれど、そうした本を読んあんだかどうかは知らないが、そういう意見を踏まえることなしに上記のような発言をするのは、少なくとも個人のブログなんぞではなく、一応はそこそこの出版社から出される本としては失格ではないか。そして、そうした記述が散見されるあたりで、その後何を言っても説得力を持たなくなるんだよねえ。



 つーことで、読みやすくはあっても、大急ぎで書くあまり不勉強な部分がそのまま、といった感じに見える文章です。そして多分、小論文というものを書く場合に最も重要なのはまさしくその点じゃないんでしょうか。

 つか、単なるノウハウ本ではなく、新書でこうした記述をするなら、時間をかけてじっくりと書いた方が良いのでは・・・・。





 ま、批判とはいえこんだけ書いちゃったわけだから、書く気力の養成という当初の目的は達成されたのかな・・・・。