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本を読む

 書評でえらく評判がいいし、講談社もかなり力を入れて広告を売っているということもあって買ってみた。
 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)




 確かに非常に読みやすい文章である。ミクロな科学である分子生物学について、明確にイメージを喚起するわかりやすい文章で語っている。更に、そうした生命の不思議に対した時に、科学者として人間として、いったい何をどう感じるのか、生命とそれに対する畏敬の念を詩情あふれる言葉で語っている。
 この感じは、沈黙の春で有名なレイチェル・カーソンの文章にも似ていると思う。レイチェルの・カーソンのセンスオブワンダーは、今では英語の教科書にも採用されるくらい有名になったが、この文章も科学的な正確さと同時に詩的であるという点で、今後国語の教科書にや入試問題に採用されていくのではないだろうか。特に、前書きや後書きの文章などは、抜かれやすい部分だと思う。(受験を控えた中高生も読んでみましょうよ)

 

 この本の後書きにもある次のような文章は、この本の主題を明確に語っている。
 

 生命という動的な平衡は、それ自体、いずれの一瞬でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向的にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して後戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でも完成された仕組みなのである。
 これをを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化していないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が1回限りの折り紙であるといういう意味からは、介入が、この1回性の運動を異なる岐路へ導いたことには変わりない。
 私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述する以外に、なすすべはないのである。


これを読めば、科学者として生命というものの謎に取り組みむ人が、同時に生命というものに対し、どのような感性を持つのかがわかる。科学は生命というものの謎を解き明かし、生命の神秘さを解体してしまう取り組みではない。大勢の人が互いに切磋琢磨しながら生命と謎に挑み、その見事さに魅せられながら、知見の深まりと共に更に拡大していく謎に取り組む過程である。

 

 しかし、こうした知識と感動は、当事者でなければ単なる言葉だけでは、なかなか伝わらない。例えば、この文章を教科書に採録して強制的に読ませたとしても、ちっともおもしろさを感じないという人もいるはずだ。なぜそうなるのか。なぜ感じないのか。それは、経験と想像力の差ではないだろうか。


「判る」と言うことは、「なぜ」という疑問を自らが持ち、その答えを自らで突き止める行為を通して喜びと共に得られるものだ。自然科学では、それは実験や観察によって得られる答えでもある。それを迂回して、他の人の実験から得られた知識だけを蓄えても、それは不毛な行為である。しかし、少しでも「なぜ」という疑問を自ら解決する「感動」を味わった事があるならば、その体験をベースに、科学する事の、知見を広げていくことの喜びを得ることが出来るのではないだろうか。経験をベースにした想像力が必要なのである。

 
 最近では理科離れを防ぐためにという名目で様々な取り組みがあるが、その中で最も難しいのは「なぜ」という疑問を自ら抱かせることである。様々な事象に対して、まず「なぜ」と考え追求しようとする姿勢をもつこと、そういう態度を身につけさせるのは非常に難しい。科学フェスティバルといった形で、さまざまな楽しい実験を体験させることがまだ比較的たやすい。「おもしろ〜い」「びっくりした」「楽しかった」から、次の「なぜ」を子供達自身が持ちその答えを探そうと態度。そこが重要なのだけど、外部からの問いかけではなく子供自身にその疑問を持たせ、更に自分自身で答えを探させることは難しい。用意された答えを大人は「正解」として与えてしまいがちだし、それでなくても「なぜ」の答えがあまりにも見え見えに用意されているとつまらない。

 
 けれどもし、何事に対しても「なぜ」と考えるそういう態度が身に付けば「水伝」とかのトンデモにひっかかる事もないだろうし、テレビで報道されたからというだけの理由で納豆を買いに走ることもないだろう。だからこそ、自然科学というものは誰にとっても重要であると思う。

 
 そうした事から考えても、自然科学教育に携わる人だけでなく最前線で自然科学も取り組む人やその活動を、正確に伝える活動は重要であると思う。正確な知識と、そして感性と、その両方を伝えられる科学書の書き手、そしてきちんとした出版社はこれからますます重要になるだろうし、読み手である私たちはそうした活動を支える必要がある。


 と言うことで、この作者の他の本も注文してみよう。