hyla’s blog

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読書など


 少し時間が出来たので、借りたまま読めていなかった本を読破中。
 
 ということでまず読み終えたのがこれ。

 

クジラの死体はかく語る

クジラの死体はかく語る


 「死体」「語る」ときた時点で、即借り出したわけだけど、なんちゅ〜か、読み終えた今は借りた本でよかった。買わんでよかった、としみじみ思う。


 まあ、有り体に言って、文章、内容構成がマズイと思う。人の主義主張というのはそれぞれなので、これについてはスルー。(個人的には、100%は賛同できないが)
 が、それぞれの話題についての突っこみが、あまりに浅すぎる。

 

 自分の体験、完全な素人として写真によるクジラ類の個体識別から始めて、科博で解剖にも携わり、NPO代表となり、活動しているというその体験を軸に物語を語るのならそれも1つの方法だ。
 しかし、その線で行くのなら、なぜ主婦がクジラなのか、その理由が全く書かれていないために理解、共感がもてない。子供の頃からなのか、何かのきっかけなのか、大学とかでクジラに関連した事を少しでもやったのか、家族の反対はないのか、NPOの収支はやっていけているのか。何でもいいが、体験を元に勧めるという方針だと、そこが判らない文章なので唐突に話題が出てきて、勝手に何かやっとるとしか、読めないのだ。


 
 で、それではクジラ研究者としてクジラについての愛情と知識を語るという視点ではどうか、というと、これまた浅い。

 例えば、何故PCBなどの有害物質がクジラに高濃度で蓄積されるのか、それを生物濃縮というだけですませると、こんな本を読む人には不満足だろう。恐らく、クジラの餌となる動植物にそれぞれどの程度の汚染物質が存在し、それがどのように蓄積されるのか、そのメカニズが明らかにされた経緯を客観的に記述していく事により、「クジラも大変なんだ、」と実感していくのではないか。
 
 あるいはドーモイ酸という聞き慣れない藻類由来の毒について触れられているが、それがどうして今問題になっているのか、実のところさっぱり判らなかった。と言うか、大変だとしかそれについて書いていない。これをやると、知識がないから書けないと判断されると思う。
 
 



 また、体を使って実際に解剖していく体験を元に語る本(恐らくタイトル付けからしてここがメインだろう)とすれば、それぞれの解剖で何が判ったのか、そのクジラが発見された所から始まって、ずっとそれについて詳細に語れば良いのだ。

 クジラの解剖を巡って、どのような人とどのようなやりとりをして、あるいはクジラについては、どんな面白い出会いがあるのか。変なクジラ研究者との出会いを語るとかね。あるいはクジラの写真やDNA分析のデータベースを作成したことにより、個体識別が可能になったと言うことも売りの一部だろう。ならば、印象的なクジラについて、物語を(どこで発見され、その後どこで記録され、そしてどうやって死んだのか。)淡々と語ることで、見えて来るものもある。



 が、それらの全部について書いてしまっているので、全てについて中途半端となり、結局何が言いたいのかさっぱり判らなくなるのだ。これは、著者というより、編集の甘さの問題か?一応大手出版社の本だし、自己出版じゃないんだけどねえ。
 更に「これについては後で詳しくふれる」としながら(後で触れるから、という構成自体問題だが)それについての説明が十分ないし、同じ事に関する同じような表現がくり返し出てくる。これをやると読者の評価はぐっと下がること請け合いだ。





 と言うことで、何というかアマチュアの空回りの典型みたいな本になってしまってます。

 
 クジラを(食糧としてではなく)保護動物として見る観点に対して別に否定はしないし、(こんだけ減っている動物をわざわざ食べる必要もないだろう)、海洋汚染の深刻化、乱獲による多くの漁業資源の減少は、恐らくは事実だろう。クジラを含め海に依存する多くの生物の危機的状況は、多分こんな本を読む人は承知している。だからこそ、新たな問題提起をしっかりして、NPOだからこそ出来ること、出来たことを書くとかすれば、それなりの本になったのにね。(編集はもっとしゃんとして欲しい!)


 ついでに「科博で育ててもらったの」と言う割には、現在に科博で立ち上げているストランディングデータベースの紹介とか、それについての評価とかなし、というのはちょっと変なような・・・?



 ということで、いろいろと突っこみ所を考えながら読む分には面白いかも・・・・。