hyla’s blog

はてなふっかーつ!

読書

 雨は読書、である。寝っ転がって、イヌをお腹にのせながらぼーっと本を読んでいた。読んでいたのは、「なぜフェミニズムは没落したのか」。タイトルは硬いけど、女子供文化論で売り出した荷宮和子の本だし、感じ方重視の視点で読みやすい。
 内容は「なぜフェミニズムは没落したのか」というより「フェミを受け継ぐはずだった80年代の女達はどうしてフェミを受け継がなかったか。」あるいは「何でアタシはフェミとは相容れないと思ったか」だな。
 
 結論から言うと
「だってフェミは何にも具体的方策を示さないし、おまけに自分たちの意見の主張の仕方も下手だし、アタシは嫌いなんだもん!」ってな感じ。
松田聖子は、林真理子は自立するには(自分が好きなことをするには)どうすりゃいいか見本を示したのに、上野千鶴子とかのフェミの人たちってば自分は何もしないで言うばっかり。」

 まあ、学者っちゃそういうもんですけどね。
 
 でも、フェミの主張はネガティブな主張だってのは面白い。
 「仕事がしたい」vs「専業主婦=「嫁という名の奴隷」にはなりたくない」って笑えた。ホントにそうだねえ。まあ、専業主婦はおかしい、って主張するより仕事がしたいって仕事を始めてしまう方が建設的であることは確かだろう。前者が荷宮和子いうところのフェミ的80年代女の考えで、後者がフェミニズムの主張。

 
 ただ、「現在の若者は「○○したい」という欲望、あるいは「自分がカワイイ(だから殺人は、犯罪はやめとこう)」という感覚を持たない。それこそが時代を悪くしているのだから、80年代的な「○○したい」という思いを取り戻そう。」という主張にはどうかと思う。いや、80年代を謳歌したワタクシとしても何のかんの言われてたけど、確かにあの時代の方が今よりはマシだった。と思う。けど、時代は戻らないのだ。取り戻そう、というけど、それこそどうやって?その具体的手法を、その可能性を示してみてよ、と思う。それができなければ、「若い頃はよかった。」と愚痴るおっさんと変わらなくなってしまうのではないか。


 そしてまた、60年代に「ベルばら」を見て成長し、「男と同じように働く=素晴らしい」とすり込まれて頑張って働き続けて現在に至る数多くの「迷える負け犬達」の行く末を考えてしまう。「共働きにおいて、家事は夫婦でやるのが当たり前でしょ。」とフツーに思って、またついつい正直に口に出してしまい、その結果として、あれっ?っと思っている女達。時間と共にもっと時代は良くなっていく、と信じて努力し続けた、けれど、フツーとはいうけど立派な勝ち組の著者ほど恵まれなかった80年代女はどこへ行けばいいのだ?と思う。

 

 まあ、それも余計なお世話か?
 何があっても自分の道は自分で頑張ってきりひらかなくちゃ、と思うのが80年代女のアイデンティティですからね。


 ついでに、明らかに文中に1行抜けているらしい部分や、引用ではないほとんど同じ記述が複数カ所見られる。元は雑誌の原稿でそれに加筆したらしいが、編集段階で、その辺りは調整して欲しかった。その点は残念。

 
 わかりやすい本だけど、展望がなさ過ぎて嫌になる。


 という本でした。